介護対象者のQOLの維持と、介護対象者の意思の受容は必ずしも同じではない。
歯磨き一つとっても、どうしようもないBooじーちゃ。
どうしても「動けない(不可能)」のではなく。
ぬらりくらりと「動かない(拒絶)」のだから、一日中おかんさまの叱声は絶えることがない。
あんまりきっちりやらせようとするのも考え物ではある。
なにせ、自分の気に入らないことがあると、華麗に地団駄ステップをご披露に及ぶBooじーちゃ。
力一杯足を踏むせいで、歩き方がよれよれと悪化することも稀ではない。
しかも、地団駄の効果は歩き方の悪化だけにとどまらない。
本日も叱りつけられて地団駄を踏むBooじーちゃ。
…………。
なぜに、行動停止しておりますか。
……どうやら、脳細胞から地団駄の振動により短期記憶がトんだらしい。
「なぜ今自分がここにいるのか」「これから何をしなければいけないのか」が、綺麗さっぱりリセットされたBooじーちゃ。
記憶剥落後の再起動スイッチは、やっぱりおかんさまの声。ばっちり素直になるBooじーちゃ。
歯磨き一つとっても、どうしようもないBooじーちゃ。
どうしても「動けない(不可能)」のではなく。
ぬらりくらりと「動かない(拒絶)」のだから、一日中おかんさまの叱声は絶えることがない。
あんまりきっちりやらせようとするのも考え物ではある。
なにせ、自分の気に入らないことがあると、華麗に地団駄ステップをご披露に及ぶBooじーちゃ。
力一杯足を踏むせいで、歩き方がよれよれと悪化することも稀ではない。
しかも、地団駄の効果は歩き方の悪化だけにとどまらない。
本日も叱りつけられて地団駄を踏むBooじーちゃ。
…………。
なぜに、行動停止しておりますか。
……どうやら、脳細胞から地団駄の振動により短期記憶がトんだらしい。
「なぜ今自分がここにいるのか」「これから何をしなければいけないのか」が、綺麗さっぱりリセットされたBooじーちゃ。
記憶剥落後の再起動スイッチは、やっぱりおかんさまの声。ばっちり素直になるBooじーちゃ。
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我が母にもございます。
母の場合は
ツレアイであるJaga父の怒鳴り声で発症...。
娘としては聞くに耐えないののしり声も
父に言わせると「母さんの為を思ってじゃが」となります。
以前は、そんな父に涙ぐんだり、かえって反発したりしていた母ですが
最近は、動かなくなります。
ベッドから起き上がりもしません。食事も摂らなくなります。
まさに電池切れ状態。
そして電池交換は、一緒に暮らす父ではなく
別所帯の娘たちや、ケアマネ(最近戦力参加)があたふたと駆けつけて
なされることにあいなりました。
電池交換の際、
「なんでこうなったのか?」と父に聞いても
父は「知らん」の一言。
(おいおい、こっちも思考停止かや)と内心で思いつつ
母に気分転換をさせるべく
散歩に誘ったり、饅頭を買ってきたと声を掛けたり
春色ブラウスを着せてみたり、一緒に風呂に入ったり。
手を変え、品を変え、ついでにシーツも変えて
母の充電電池が満タンになった頃
反対に父がスネクリンになるのは、些かうんざり。
それでも父は、
「わしらは自立して暮らしている。他人の中(施設)で過ごすのは嫌じゃ」
と施設入所どころか、デイ利用もヘルパー利用日を増やす事も断固拒否。
有能敏腕&ジジ転がしの上手いケアマネが
最近、父に
「Wooさんも(リューマチが悪化すると)介護保険認定を受ける対象になるかもしれませんね」と
軽く”脅し”をかけてくださりましただ。うひ。
Woo戦線離脱したら
Jaga父ちゃん、電池交換を誰に頼むのかな? うひひ。
意地悪な想像をしてます。
さてと、
今朝は
高血圧の薬「ノルバスク」と、週3回服用の「リウマテックス」を飲むんだわ。
父母用の薬小分けして日付入り袋に入れて行く作業をするついでに、
自分の薬もカレンダーにペタリンチョと貼り付けてるWoo。
薬服用をころりと忘れ始めたら、アタイもアブナいかもよ。
思考停止というか…。
「何をやってた」のかがホントにわからなくなるようです、うちのBooじーちゃ。
ハムスターが餌をかかえたところで、名前を呼んでやると。
もう、なんで餌がそこにあるのかわからなくなるのとそっくし同じ。
違うのはかわいげでしょうか。
再起動スイッチ増設希望。
子どもの「やる気スイッチ」を探してあげるという某塾のCMはありますが。
認知症患者の起動スイッチはどこにあるんでしょうね?
電池交換はスイッチをポチっとなというわけにもいかないだけに、Woo様のご苦労がしのばれます。
リューマチ、少しでもよくなるといいですね。
介護のご苦労が笑えるネタになってますけれど
よくよく考えると、大変な内容ですよね。
コメントを読みながら
ふと我が両親をどうしていくのか、彼らはどうして欲しいのかなどと、想像して、ゾクッとしています。
家に70歳以上の人間が居ない我が家。
両親の両親、つまり祖父母もいません。
「介護」という言葉はまだまだ遠いと思っていたのですが
ここにお邪魔するようになってから
真剣に考えるようになりました。
初めまして。
拙ブログにおいでいただきまして、まことにありがとうございます。
介護は「苦労」と意識してしまうと、苦痛以外のナニモノでもなくなってしまう気がするので、あまりそうは考えないようにしています。
では、ワタクシメの考える「介護」とはなにかと言いますと。
「後悔を残さないためのもの」ではないかと。
我が家の場合、もうBooじーちゃ。に、とって、ワタクシメどもは「口うるさいヘルパーさん集団」にしか見えないようです。
「この人は誰?」と訊いても「わからん」「知らん」以外の答えは返ってきません。
介護される側にとっては、介護してくれる人が血の繋がった身内でも他人でも違いはなくなるのかもしれません。
QP大好き様は、まだまだ介護に入るまで時間がおありのようですね。
でしたら、意見を交換できる今のうちに、ご両親と「どのような介護を希望するのか」「その実現のために必要なものは何か」を、徹底的に話し合いをされるというのも一つの方法かと存じます。
実際に衣食住から排泄の世話まで、QP大好き様ご自身の手でなさらないとしても。
介護プランの構築と実現に、とことん納得のいくまで取り組むことができたなら。
それも立派な介護の形ではないかと。
拙ブログは年中無休毎日更新を目指しております。
QP大好き様の、またのおいでをお待ちしております。