
積雪量でしたが、3月のまとまった降雪のため、日蔭や山沿いでは、まだ解け残りが目立ちます。
宇野ゆかりの皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
大きな悲しみから早くも1か月。ケタ違いの被災者の数もさることながら、いまだに15万人余の
方々が避難生活を余儀なくされている現実にも驚かされます。さまざまな理由があるのでしょうが、
仮であっても一刻も早く安全・安心な生活ができる環境が整うことを望みます。
大正12年9月1日正午前に発生した大地震は、関東大震災を引き起こしました。揺れや津波による
被害に比べると、地震後の火災による被害が大きかったことが分かっています。この時代の防災
対策は、どうなっていたのでしょうか。発災時に警視庁消防部長であった緒方惟一郎氏の仕事に、
その一端を見ることができます。ご存じのように緒方氏は、宇野キツさんの弟です。
緒方氏が消防部長になったのは、大正4年でした。まだ自動車の普及が進んでいない時代、馬車が
ひく「消防車」が中心でしたが、緒方氏は、大正6年にアメリカから大型ポンプ自動車を購入する
ことにしました。ラフラン社製の8人乗り、放水距離39m、時速80km。せまい路地には不適だとの
意見もあったようですが、ひとまず首都に近代装備が導入されることになりました。
緒方氏は、さらに火災報知機の設置を進めました。大正6年に東京報知機(株)の設立を指導し、
大正9年4月16日、日本橋で24機が始動したようです。この火災報知機は、今と違って、街頭に
設置されたものです。火災発生時に消防本部に通報できるしくみでした。また、大正10年には、
欧米の消防事情を視察し、日本の消防の近代化をめざしました。
しかし、関東大震災では、こうした近代化でも大きな被災を防ぐことはできませんでした。地震後の
混乱の中での多数の火災の同時発生、消防本部自体の被災などの困難はあったでしょう。また、
広域避難場所に集まった多数の人々を火炎が包み逃げ場を失ったという悲劇もあったようです。
いざというときは役に立たなかった防災体制に大きな見直しが必要となりました。震災後、緒方氏は
一時、青森県知事となりますが、その後「東京消防茶話会」の設立に加わり、日本の消防のあり方を
模索していくことになります。
行政が考えられる被災を想定して、防ぐ体制を構築していくことが第一ですが、それをふだんから
住民に周知徹底する広報も大切です。自分の地域の広域避難場所は・・・? どこに逃げたらいい
のかなど、意外と知らないことがあります。その一方で、個人のちょっとした判断で運命を分ける
ということもあります。今回の大津波でも、避難場所に指定されていた施設が大きな被害を受けて
犠牲になった例があった一方で、自分たちの目で見た判断で、さらに高台に避難して難を逃れたと
いうこともありました。地元で「津波てんでんこ」と呼ばれていた訓えです。やはり周囲を客観的に
見た冷静な判断・行動が必要なのでしょう。
