今日は、北海道の公立高校の合格発表日でした。
北海道の桜はまだですが、一足早く「サクラサク」のメールが飛び交ったようです。
私はといえば、まだ16世紀の九州にいて、隈部氏の周辺をうろうろしています。あちこちで紛争があり、まさに「戦国時代」です。
前回紹介しましたが、隈部親興は、宇野家に養子に入り、宇野冶部大輔親興と名乗っています。
その親興の長子が宇野民部少輔重基、その子は宇野冶部大輔重則、と続きますが、
「隈部氏系図」ではここまでしか示されていません。系譜を整理すると以下のようになります。
隈部忠直(1427-1495)⇒隈部親興(宇野冶部大輔)(1450-1520?)⇒宇野重基(民部少輔)(1475-1540?)
⇒宇野重則(冶部大輔)(1500ー1570?)
隈部親興以下の生没年は、親、忠直から追っかけた推定ですが、この系譜から「宇野先祖付の冶部太夫さん」は、隈部親興ではなく、
むしろ宇野重則である可能性が高まってきました。「大永の頃」の活躍に合致しそうだからです。
すぐそこに宇野冶部太夫さんがいそうなのですが、なかなか、はっきりとは姿が見えません。もう少しここにいて、
隈部・宇野の縁者の家を訪ねてみることにします。