悠々time・・・はなしの海     

大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

路地裏文化を発信する山の手の神楽坂

2006-05-29 19:55:44 | 街の風景



<大学生の街、神楽坂の変遷>

「かつては法政大学生の街」

神楽坂は早稲田大学、法政大学を中心とした街であった。中でも
この街は、かつて100年の歴史を紐解くと、法政大学の街だった。
法政大学にある過去の写真資料を見ても、戦前戦後を通じて法政大
学の学生で溢れていた。特に東京六大学野球で優勝したときなどの
写真を見るとその感が強い。

「早稲田大学生も神楽坂へ」

もっとも明治、大正、そして戦前の昭和の時代は、早稲田出身の文
人が神楽坂に足跡を残しており、学生も沢山遊びに来ていたようだ。
そういえば、神楽坂に住み、神楽坂界隈の街と文化の発信人として
有名な平松南氏とその父親は早稲田出身だ。


「時代の流れか、早稲田・法政の学生は新宿・渋谷方面へ」

しかし世の中は変わり、大学自身の校舎の拡張方針などもあって今や
神楽坂は東京理科大学の街になった感がある。
早稲田大学は新宿の戸山や大久保に学生会館や広大なキャンパスを
拡張したこともあり、学生の溜まり場はますます新宿方面が中心になっ
た。法政大学も八王子に広大なキャンパスを作り、また小金井にも新た
なキャンパスを設けたことから、学生の足は新宿とか渋谷方面になった。


「理科大生は本拠地神楽坂に集結・・・神楽坂は今や理科大生の街」

ところが神楽坂(若宮町)に本拠を構える東京理科大学は外堀通り沿い
に校舎を続々と拡張し、今や若宮町から市ケ谷田町方面の外堀通りは
理科大一色となった感がある。大部分の学生の行きかえりは、飯田橋
駅、神楽坂入り口を通ることになるので、飲み食いもこの辺になるの
であろう。理科大は、今年で創立125年目ということもあり、大いに盛り
上がっているようだ。校舎の側面に大きく掲げてある「125周年」という
文字が目立つ。一番最初の写真は、飯田橋駅から市ケ谷駅方面を望む
牛込濠の光景だが、左手の高層ビルは法政大学、右手の大きなビルは
外堀通りに面して立ち並ぶ東京理科大学の校舎の一部である。


「本家の意地・・・法政」

そうはいっても、「神楽坂=法政」の本家意識が強い市ケ谷(法政)の
教職員は神楽坂の再生と活性化のためにいろいろなことをやっている。
エクステンション・カレッジでは平松南さんによる「神楽坂を歩く」講座
や、神楽坂落語研究会と共催で「落語入門」や「落語への招待」などを
継続的に行っている。特に落語界には法政大学出身の真打が何名か
いるので強い。

中でもユニークで、神楽坂らしいのは
   
   「東京の粋な華街・花柳界入門」

という講座であろう。講師の一人には、地元神楽坂出身の元文学座の
女優さんで、母を支えて料亭「幸本」の若女将をしている山本 歩さん
がいる。これは究極の講座であろうか。いずれにせよ、地元の大学や
そこに住む人々や神楽坂を愛してやまない人たちが、協力し合い、
切磋琢磨して、坂と路地裏から伝統と現代の融合した新しい文化を発
信し続けてくれることを願っている。





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      「神楽坂(入り口)交差点付近」

     JR飯田橋駅前より神楽坂方面を望む。
     角の黄色と赤色の建物の前の道路は「外堀通り」で、
     今は、2、3軒隣りから理科大関連の建物となる。
     左が市ケ谷方面、右が水道橋方面である。


 


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        「ドトールコーヒー」

神楽坂交差点から少し上がったところにあるドトールコーヒー店。
階段を上がると入り口になるが、昼時ということもあってガラスの
ドアの中は行列している。もちろん以前はこのような店はなかった
のだが、時代は神楽坂を若者の街に変えつつあるのかもしれない。

一昔前だったら反対運動が起きたと思うが、この街の高齢化も顕著
であり、花柳界だって芸妓30人、料亭9軒になってしまったことを考
えると、街の活性化のためには現代化も必要なのかもしれない。

 


・・・7月から地元商店有志で始める「逸品一店」・・・ 
     「不二家飯田橋神楽坂店のペコちゃん焼き」 
    
1階の左側に見える「FUJIYA」のペコちゃんのお店は、神楽坂の情報
発信人、平松南氏のご長男が店長をしているというが、ここでは、
手のひらに入る大きさのペコちゃん焼きを、日本でここにしかない
逸品として売り出すそうだ。有志数十店舗で始める「逸品一店」だそうな。

こういう試みが街の、そして商店の活性化につながるのだ。
          
       頑張れ! 神楽坂のオーナー経営者


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   <「コーヒー」ではなく、「珈琲店」>



ここは珈琲店である。先ほどの店はコーヒーと書くが、こちらは
珈琲と書く。歴史と伝統の重みもまたいい。私も落ち着きたい
ときに、時々立ち寄る。カウンターもあり、カウンターの目の前で
珈琲豆を炒っている情景もいいものだ。わざわざ訪ねて来る客に
出会ったときは、理屈なしに、なんとなくホッとするものだ。



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   <神楽坂(入り口)交差点方面を望む>



ここは神楽坂通りの中間辺りから飯田橋駅、牛込橋の方角を眺めたもの。
明らかに坂であることが分かる。つまり、神楽坂の入り口交差点付近が
一番低くて、そこから先、南の方角は上り坂になっており、それが飯田
橋駅、警察病院前を通って九段坂へ続いていることが分かる。




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    <毘沙門天様、日蓮宗「善国寺」>



中間地点より少し上にある有名な神楽坂の毘沙門天さま、正式名を
日蓮宗「善国寺」という。山の手七福神の一つで、江戸時代から信仰
が厚く、戦前、戦後を含めて、ここの縁日は相当の賑わいをなす。
縁日に夜店が許可されたのは明治20年だそうだが、その第一号が
ここ毘沙門天様だとか。

神楽坂芸者の技芸を披露するために、神楽坂芸妓をどり「華の会」が
平成11年に初めて行われたのがここ善国寺である。



ところで、ここの狛犬(こまいぬ)は、実は狛虎(こまとら)だという
人がいるのだが、確かに犬ではなく虎のようにも見えるが、獅子の様
であり、犬の様でもあり、定かではない。

(毘沙門天の脇道)


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     <神楽坂上方面を望む>


ここは、神楽坂上の方角を見ているのだが、信号のある神楽坂上から
さらに上の方は神楽坂6丁目、横寺町、矢来町、赤城町(元町、下町)
と続くが、明らかに坂は上っている。現代では相当なだらかになってい
るが、江戸時代はきつい丘陵地帯であったことが伺える。






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<フランス料理の店がなぜ多い>




この神楽坂通りと、裏通りにはフランス料理の店が多い。フランス人が
なぜ多いのか、その理由は簡単である。近くの市ケ谷船河原町に「東京日
仏学院」がり、市ケ谷駅から1,2分の九段北4丁目に「日仏文化協会が」が
あるからです。いずれもお隣さんであり、住むには環境はいいし、交通が
便利であり、この辺の雰囲気がパリのどこかに似ているからだという。

~~「ここは牛込、神楽坂」編集発行人の「立壁正子」さんの

      「毘沙門天」というホームページ~~

上記のような詮索はともあれ、神楽坂のフランス料理店のことなら、
生まれも育ちも神楽坂の「立壁正子」さんの「毘沙門天」というホーム
ページを見てください。ここをクリックすると、何故か桃色地のきれいな
画面が出てきます。そこには「神楽坂」とあり、フランス料理の店が4軒
とクレープリーの店が1軒載っています。

           毘沙門天
     
   (生まれも育ちも神楽坂の「立壁正子」さんのHP)


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     フランス人の「カグラザキャン」

 彼女は今、神楽坂ファンの中で知らない人はいない程の神楽坂
 大好きのフランス人です。彼女は、神楽坂は日本の宝物、という
 ほど神楽坂を愛しています。NHKテレビフランス語会話のパーソ
 ナリティー5年、日仏学院講師、テレビ出演、雑誌寄稿、著作、
 露天風呂の温泉、寿司、うどん、鍋、日本酒、居酒屋、・・・
 きりがありません。若いころのイーデス・ハンソンさんみたい
 です。彼女は神楽坂の人のことを「カグラザキャン」という。

    ドラ・トーザン(DoraTanzin)のホームページ



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      <裏道、小道の路地裏散策・・・

         山の手の下町が見えてくる>

市ケ谷の方から牛込中央通りを北の方に上って、納戸町、細工町、
旺文社、矢来町、新潮社の本社や観世喜之の矢来能楽堂を回って
横寺町、早稲田通りを神楽坂への道は単調なので、またまた、裏通り
や小道を通って箪笥町、北町、中町、南町、袋小路の袋町、若宮町と
歩いて少々疲れたので、これから先の裏道小道は紹介なし、無言で
見ていただきたい。






       <そして神楽坂>

神楽坂の良いところは、身の丈が大きくない、小さな街であること、
下町っぽいのに山の手の独自の裏路地文化が感じられること、神楽坂
という中心になる坂があること、路地裏には沢山の狭い、細い横道が
あること、目の前にお堀があること、花街の小さな雰囲気が残ること、
明治の文豪・文芸の香りが残っていること、そして住む人の息遣いが
そこかしこに感じられることである。



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<最後に、神楽坂にフランスの香りがするもう一つの理由>

明治政府がフランスのパリ大学から呼んだ法律顧問のボアソナード博士
が明治16年(1883年)に法政大学の教頭になったことから、法政
大学(当時、東京法学校)は「フランス法学」を校是とし、明治22年
(1889年)には、「日仏文化協会」の前身である「東京仏学校」と
合併して「和仏法律学校」となり、その後いろいろな変遷を経て今日の
法政大学へと発展して行ったのである。法政大学に聞いたら、このペー
ジの冒頭の写真に見える高い校舎の名前は「ボアソナード館」という返
事が帰ってきた。



今現在、この街の周辺には、東京日仏学院(市ケ谷船河原町)と日仏
文化協会(市ケ谷駅近く、法政本館の裏側の靖国通り)がある。歴史は
大きく変わったが、一朝一夕に積みあがったわけではなく、100年
以上の伝統の重みがあることも確かなのである。



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