憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

8月31日今上一時帰京 

2023-09-03 16:02:03 | 令和の皇室
9月1日の旬祭にあわせて今上が8月31日に一時帰京されることは、ご静養発表時に既に報じられていた。
代々の天皇が天皇の務めとして、息するように当たり前に臨まれていた祭祀です。



😱 ”本気度”、、、なんとも安っぽい言葉ですこと。
『女性自身』には、天皇が天皇の祭祀に全身全霊で臨まれるのは当たり前の事なのだという発想は無いのでしょうか。
公開されることはなくても、宮中三殿の奥深くで真摯謙虚に祭祀を行っておられると信じるからこそ、天皇を尊いと拝することができるのです。

『女性自身』の記者は「天皇の祭祀」に厳粛さも有り難さも見ていないのでしょうね。
天皇の祭祀に厳粛さも有り難さも見ていないのは、雅子さまも同じで、上皇から天皇の祭祀の意義と意味を叩きこまれた今上も、今ではすっかり奥方に感化されてしまわれたのではないか、と感じることがある。
例えば、「新嘗祭を終えるや否や、雅子さま愛子さまにサッカー試合の結果を尋ねた」と得々と語られる時とか、ね。

<抜粋>
那須御用邸への滞在中、天皇陛下は8月31日にいったん帰京され、9月1日に御用邸に戻られた。 

😁 1日、朝、旬祭を終えられて、昼食後に御用邸に戻られたのでしょう。
儀式そのものは15分程度で終了します。
祭祀もソコソコに妻子の元へまっしぐら?


陛下は祭祀を非常に重要視されており、出るべき祭祀に欠席したことは原則的にないと聞いております。

😁 そうでしょうか。雅子さまを伴っての大きな地方公務にお出ましの際、公務でのお疲れ予想を口実に旬祭をお休みになったこともありましたね。
とうとう雅子さまの祭祀サボりが今上に伝染したのか、と思いましたよ~。

「事前の潔斎もあり、重量のある装束をお召しになるほか、長時間正座される祭儀があったりと、昭和天皇や上皇さまもお歳を召されたころからは、お体へかかる大きな負担を耐えながら臨まれていたのです。早朝や深夜に執り行われる祭儀もあり、ご身体に相当な負荷がかかる一面があるのです。

😐 その通りです。でも昭和天皇も平成の天皇も、一言も負担だとはおっしゃらなかった。週刊誌がわざわざ「本気出している」と書くことも無かった。
国民は天皇として当たり前に祭祀に望まれる天皇を当たり前に有難いと思っていたのですわね。

陛下は国民の幸せを祈るため、歴代天皇が連綿と受け継がれてきた宮中祭祀を大切にされているのだと思います」(皇室ジャーナリスト)

😁 新嘗祭の夜に「サッカー見られなくて残念だった」とおっしゃる方が?
皇室ジャーナリストも「大切にされています。」ではなく「だと思います。」て、、、笑
とはいうものの、今上が曲がりなりにも祭祀を続けていてくださることは評価したいです。

ご静養の最中であっても、陛下は国民に寄り添うお心を常にお持ちになっているのだ――。

😅 ははは。



😐 一時帰京は警備費節約のためにお車で?
待ちに待ってのバカンス中のはずなのに、疲労困憊されているように見えるのは、21日から10日間、元気な雅子さまと愛子さまに付き合った遊び疲れか。


😁 22日から軽井沢でご清遊されていた上皇ご夫妻が29日ご帰京。

上皇が、相貌はともかく、気品を保っていらっしゃるのは流石と思います。
美智子さまは、、、うーん。
「朝に紅顔あって世路に誇れども、暮 (ゆふべ) に白骨となって郊原に朽ちぬ」
ですかね。



加冠の儀(1)

2023-09-03 00:49:54 | 加冠の儀




😊 悠仁殿下の加冠の儀は、ご日程の大凡が発表されて、いよいよカウントダウンに入ったと言ってもよいでしょう。
2024年春、待ち遠しいことです。その日まで約1年半ワクワク感を楽しめるのですから待つのも楽し、ですね。

加冠の儀について、少しづつ知見を整理してみます。私の思い違いや説明不足のご指摘ご教示、お待ちしています。




『皇室令』は1947年に廃令となりましたが、憲法に違憲しない条項はそのまま踏襲されています。
現行の『皇室典範』も旧皇室令を知らないと分かりにくい部分があります。

皇室親族令』第三章 親子

・皇室の子・・天皇の子=皇子
       皇太子・親王・王の子=皇族の子

😇 現在の皇室
  誕生時から皇子だったのは昭和天皇の子である上皇と常陸宮殿下だけです。

 今上と秋篠宮殿下は皇太子の子、として誕生=皇族の子
 
 愛子さまは皇太子の子、として誕生=皇族の子

 悠仁殿下と佳子さまは親王の子として誕生=皇族の子

・親が天皇に即位すれば、子は皇子になる。
 愛子さまは今上が即位して皇族の子から皇女子に格上げ。
 悠仁殿下も秋篠宮皇嗣殿下が天皇に即位した時点で皇子となる。

但し同じ皇族の子でも皇太子皇太孫の子と、親王・王の子では些かの待遇の違いがある。


皇室成年式令

 


・1章 天皇の成年式
 2章 皇族の成年式
  皇太子・皇太孫と親王・王の成年式には些かの違いがある。



😇 今上と秋篠宮は成年式当時、お二人とも皇太子の子=皇族の子でしたが、浩宮は将来の皇太子、ということで多少の差をつけたようですね。
『成年式令』附式には、
第一編天皇の成年式
第二編皇太子の成年式(皇太孫準ず)
第三編親王の成年式(王準ず)
と分けてあり、皇太子の成年式と親王の成年式の次第には違いがあります。


浩宮は成年式当時皇太子ではないので、親王の成年式次第を用いたはずですが、実際にはどうだったのか、、、。
調べる段階で出て来るかもしれませんが、今は不明です。






😁 とりあえず、冠の纓が違う。

悠仁親王殿下は皇嗣(皇太子)の子で、将来の天皇、即ち当時の浩宮徳仁親王と同じ立場ですから、浩宮徳仁親王と同様に親王以上皇太子未満の成年式になるはずですが…。
一人娘のティアラさえ、なんのかのと言って作らない今上ではねぇ~。


加冠の儀については、まだまだ語りたいことが沢山あります。
(つづく)