憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

逆光の部屋・・愛子さま初めての単独記者会見(2022年3月17日)

2022-03-17 22:28:23 | 愛子さま
😟 昨夜11時36分、福島県と宮城県で起きた震度6の地震。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 満を持して行われた愛子さまの記者会見。少し前に「数日前に収録したものを当日に発表する」というネットニュースがあったので、そう思って居たのだが、冒頭昨夜起きた福島、宮城の地震の被災者を気遣う御言葉があり、会見が生会見であることが分りました。


😇 桜の枝と百合、薔薇、蘭、春の花々でまとめた若いプリンセスらしい華やかなフラワーアレンジ。
ワンピースとジャケットのアンサンブルなのか、スーツにインナーなのか、どちらでしょう?
パステルカラーの若草色が清楚でとてもよくお似合いです。

😊 イヤリングとネックレスの真珠の色は同じですが、ブローチは違う色に見えます。画像なのでそう見えるだけかもしれません。
色白でピーチスキン。皇族のアクセサリーは真珠がメインですが、愛子さまならルビーもお似合いだと思います。上皇后様ならきっとお持ち。おねだり遊ばせ。

愛子さま初めての単独記者会見(2022年3月17日)

😊 映像の愛子さまは初々しく、とてもお可愛らしい。
まるで面接に来た新卒の女子学生が、覚えてきた面接用の文章を忘れた時にみせるような「えーっとなんだっけ」というような表情を時折される。
可愛い!!

昔昔、街のうどん屋蕎麦屋等には、片田舎から出てきた可愛い少女達が赤い丸い頬をして一生懸命働いていたが、一生懸命覚えた言葉を話そうとしている愛子さまにどこかその少女達の面影が重なる。
やんごとない姫君と街のうどん屋の少女を並べるのは不敬だが初心で素直な心は変わりが無いだろうと思う。
街では、もう丸く赤い頬で働く少女達を見なくなって久しい。

愛子さまが初の単独記者会見、自らの長所として語った「どこでも寝られる」がトレンドワード入り
 2022/03/17 18:51  中日スポーツ

「友人や周りの方からは、穏やかであったり無邪気と言われることが比較的多いような気がいたします。長所は強いて申し上げるなら、どこでも寝られるところでしょうか」と話し、那須御用邸に到着した夜に縁側のソファで寝て、そのまま朝を迎えたエピソードを披露。「自由にのびのびに育ったようで少しマイペースなところ」を短所に挙げた。

😊 ↑此処が、今上陛下からアドバイスされた「ユーモアを交えて」ですね。
すぐに分かりました。・・笑えないけど。
縁側のソファーで朝まで寝たら風邪引きますよ。お気をつけ遊ばせ。

他にも須崎の海でサーフボードに今上と雅子さま愛子さま、三人で乗ってひっくり返ったというエピソードも笑うところだったのかも。

 その後も皇室のあり方として受け継がれる「皇室は国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす」との言葉を最も大切にすべきと語り、自らの結婚観や結婚で皇族を離れたいとこの小室眞子さんについても自らの言葉で思いを述べた。 

😐 愛子さまは「国民と苦楽を共にする」の例として「被災地の方々にいつまでも心を寄せること」と脳裏をまさぐるようにしてお答えになっていましたが、今上も御自身の誕生日の御言葉の中で同じことを言われた。
私としては「国民と苦楽を共にする」=「被災地の方々に心を寄せる」で終わって欲しくないと思うのだが、愛子さまにそのような思いをぶつけるのは酷だろうと聞き流すことにしました。

自らの結婚観や結婚で皇族を離れたいとこの小室眞子さんについても自らの言葉で思いを述べた。 

😐 何かおっしゃってましたか?私はリアルでは見られなかったので、このノーカット版しか見ていないのですが何も仰ってません。
「カメラによる取材は此処までです。」というアナウンスと共に会場が暗くなり記者が立ち上がる様子が映っていますが、この後カメラ無しで会見が続いたのでしょうか。
会見の様子は続けて報道されるでしょうから、愛子さまの御言葉の全貌はそのうちわかるでしょう。

😇 それにしても会見場が薄暗く、愛子さまの御顔がしばらくハッキリと見えませんでした。そのうちカメラが感度を上げたのか徐々に見えるようになりましたが。





開・啓・拓・・悠仁さまお茶の水女子大学附属中学校御卒業

2022-03-17 16:58:37 | 悠仁殿下
悠仁さま 中学校を卒業「充実した3年間になったと思います」
2022年3月17日 12時28分 NHKニュースより


悠仁さまは、17日午前、東京 文京区のお茶の水女子大学附属中学校の卒業式を前に、大学の中庭で秋篠宮ご夫妻とともに記念撮影に臨まれました。


悠仁さまが卒業文集に寄せられた文章の全文

開・啓・拓の思い出
秋篠宮 悠仁

 中学校生活の三年間を終えるにあたり、各学年の目標で用いられた漢字で振り返ってみたいと思います。

 一年時の漢字は「」でした。この学年で印象深かったことに、最初で最後の宿泊行事であった英語を学ぶグローバルキャンプがありました。英語のみを使った二日間の研修では、授業や英語劇の発表などを通して英語の技能を高められただけでなく、コミュニケーションの力を身につけ、異なる文化にふれることができました。この学年行事を通して、新たな扉を開ける体験ができました。

  二年時は「」でした。この年は、ディベート大会での取り組みが印象に残っています。あるテーマについて、賛成と反対の立場のグループに分かれて討論を行います。事前にグループごとに資料を読み込み、両方の立場で意見を伝えられるように話し合いをしました。ディベートでは、反対の立場の人が納得するように伝え、相手の主張を的確に聞き、それに対して適切に反論することが大事です。このディベート大会は、準備を含め、相互啓発の場にもなりました。

 そして三年時の漢字は「」でした。一学期には、校外学習として、障害者が働くお店を訪ねました。そこで働いている方々からお話を伺い、意見交換をすることで、働くことの様々な面を知る機会になりました。その後も学校の活動を通じて、多様な視点をもち、考えを深めることの重要性を学びました。また二学期には、一年生のときから探究してきた自主研究をまとめ、自分の興味を深めることができました。これらの経験は、これから歩む自らの道を拓くことに繋がっていくように思います。 

 中学校生活は、途中での休校があり、行事の中止や変更もある中で、何ができるのかを皆で話し合い、工夫をしたことも貴重な経験でした。多くのことを学び、思い出に残る充実した三年間でした。 


😇 悠仁さま御卒業おめでとうございます。

私は自分が心から悠仁殿下の御卒業を嬉しく思っていることに気が付いた。
何故だか嬉しくてたまらない。真っ直ぐにご成長されている、そのことが嬉しくてたまらない。
嬉しくなったのは卒業文集の作文を読んだからだ。

開・啓・拓それぞれ読みは「ひらく」だ。卒業にあたっての文章の題として、実にふさわしい。御自分で選ばれたのなら文才があるというべきだが、歌会始めの御歌のように題を示唆するかたがあったとしても、殿下がノッて自分の言葉で文章を書かれたことは解る。
ネットには早速「代作」と腐すコメントが大量に上がっているようだが、それは違う。これは間違い無く殿下御自身が書かれた文章である。
引用で問題になった佳作作品は、素人の私でも一読解ったように、引用文と殿下御自身が書かれた青い文章がキメラになっていたが、これは全文青い。間違い無く悠仁殿下が書かれた文章だろう。ただ、各学年の漢字に対応した言葉を使って結んでいるのは、やり過ぎ。このテクニックは充分を十二分にしようとした指導係の勇み足のような気がする。

しかし、そのような指導係のいささか余計なお世話を跳ね飛ばすような殿下のお人柄が文章から垣間見える。
私が一番心引かれ感動したのは、三年時、障害者の作業場を訪れた殿下が
「働くことの様々な面を知る機会になりました。」
という感想を持たれた部分です。
障害者の働く姿を見て「可哀想、大変」という同情、憐憫ではなく「働くことの様々な面を知る機会になった」と言われる殿下の視点が頼もしい。

私は、悠仁殿下をますます応援したくなりました。


😈 ネットには「愛子さまの会見の日に悠仁殿下の卒業作文などニュースにするな。」というコメントが並ぶ。
3月17日に卒業式が行われることは、付属中学の年間行事で決まっていること。12月1日に行うべき記者会見をこの日に延期したのは、愛子様の都合でしょう。
何故、わざわざ悠仁殿下の卒業式当日に愛子さまの記者会見を流すことにしたのか。不可解なことをするものです。