憂国の花束

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祖国日本よ! 誇り高くあれ。

宮内庁は何を守ろうとしたのか?西村長官の言い訳

2022-03-24 22:28:38 | 悠仁殿下
😅 今頃、何言ってんだか、と誰でも思うでしょう。
それでも西村長官は「言い訳」せざるを得なかった。何の為に?何を守る為に?
憶測が憶測を呼ぶ。
西村長官の「言い訳」は、新たな疑惑を生んだばかりでなく、週刊誌の対立ネタに新たな油を注ぐだけだと、これまた誰しも思うでしょう。

それにしても自分の思う方向では無い報道を気にしてから宮内庁発表への空気の流れ、前にも何度か経験したこの空気の匂い。
・・・風上に立たれているのは美智子さま?



愛子さまの記者会見と悠仁さまの卒業式の日程が重なったのは「私のミス」と西村宮内庁長官
3/24(木) 14:45 TBSニュース

西村泰彦宮内庁長官は今月17日に愛子さまの成年後の記者会見と悠仁さまの卒業式の日程が重なったことについて「私のミス」と述べました。

これまで成年を迎えた皇族は成年を前に記者会見を行ってきましたが、愛子さまは学業などの都合で成年を迎えたおよそ3か月後の今月17日に記者会見に臨まれました。 

その結果、すでに日程が決まっていた悠仁さまのお茶の水女子大付属中学の卒業式と同じ日に重なることになりました。 

このことについて西村宮内庁長官は「私のミス」と述べ「3月に愛子さまの会見を調整しているのを聞いた段階で悠仁さまの卒業式について思いをいたすべきであったにもかかわらず、それが頭の中に思い浮かばずに調整ができなかった。それで一緒になってしまった。できれば別の日が良かったというふうに個人的には思います」と述べました。 

また、愛子さまの記者会見について「大変ご立派にご自分のお考えをお述べになった印象」と感想を述べました。 (24日14:41)




😁 西村長官がミスった!?
そんなこと真に受けるヒト居るのでしょうか。






秋篠宮家の貶めが編集方針?『週刊新調』

2022-03-24 18:59:24 | 紀子さま
😐 相変わらず週間新潮は秋篠宮家の評価を下げるために

『週刊新潮』3月31日号グラビア”それぞれの出発”と題する記事







😬 愛子さまの記者会見には綻びる寸前の縫い目が見え隠れしたように私には見えた。
愛子さまはチャーミングな内親王ですが、会見が3ヶ月延期されたこと、延期した会見を悠仁殿下の卒業式にぶつけたこと。約30分の会見のうち公開されたのはご登場から着席、5問のうち3問への御回答が終わるまでの約15分だったことなど不可思議な点を週刊誌は書かない。

『週間新潮』のこの記事でも、愛子さまについては”のどかに”称賛するに留まるが、悠仁さまと紀子さまに対しては
>秋篠宮家のご長男もいよいよ親離れか
>思春期の男の子云々
>教育ママとして二度と失敗しまいと
と嫌みたっぷりですが、それより気になることがある。
入学準備会には保護者も出席が求められていたのだが、そのことを知らなければ、この記事の書きぶりでは、あたかも紀子さまが必要もないのに悠仁殿下に付いていったように錯覚しかねません。
情報の一部を隠しての報道は読者に判断を誤らせます。

愛子さまの称賛記事も悠仁殿下の貶め記事も情報を一部隠しての報道であることだけは間違いないでしょうね。

悠仁殿下を芸能人扱いする『週刊女性PRIME』

2022-03-24 00:52:20 | 悠仁殿下



😈 私は今、無性に腹が立っている。
『週刊女性PRIME』が完全に悠仁殿下を芸能人扱いしていることに腹が立っている。

悠仁さまが筑附の説明会で見せた異変!終始うつむいて出待ちの生徒を“見て見ぬふり”
2022/3/23 週刊女性PRIME
<抜粋>
3月18日、悠仁さまは中学校を無事に卒業した報告のため、制服姿で各所を訪問されました。まず、午前中には皇室の先祖などを祀る宮中三殿を参拝。その後、天皇・皇后両陛下や愛子さまとご面会。約20分後に皇居を後にされた際は、沿道に集まった人の影が見えなくなるまで手を振られていました」(皇室担当記者、以下同) 

午後には、東京都八王子市にある武蔵陵墓地を参拝。夕方には上皇ご夫妻のお住まいである仙洞仮御所をご訪問。 

悠仁さまは過密なスケジュールをこなされたからか、少々お疲れのご様子。約50分間の滞在を終えてお帰りになる際は、終始うつむかれたまま。“上皇ご夫妻とのご面会中で何かあったのではないか”と、思わず心配してしまいました」 

😈 何もありません。お疲れになっただけです。
18日は朝から宮中三殿にご拝礼、御所で天皇皇后に挨拶、午後は武蔵野陵参拝、仙洞御所と大移動。車に乗っているだけでも疲れる。
それぞれが緊張を伴うご訪問です。

卒業式後
お茶の水女子大の佐々木泰子学長や附属中の池田全之校長らによる記者会見

附属幼稚園から中学校まで、12年間にわたった“お茶大生活”を振り返りつつ、次のようなエピソードが披露された。

数学の学習において満点を取れずに悔しがり、英語の授業で初めて級友の前で英語による発表をされたときは、飾ることなく“緊張した”と漏らされたお姿が印象的でございました」(佐々木学長)

3年間、卓球部に所属されていました。一般の中学生にまざって、区の大会に出場されておりました」(池田校長、以下同)

歓送迎会の委員などをされて、“ひとりはみんなのために”というところもあり、下の子の面倒もみていました


「同級生にとって悠仁さまは、“ごくふつうのクラスメイトの1人だった”との説明がありました。これは“ほかのお子さまと変わらないように”という秋篠宮ご夫妻の教育方針が大きく影響しています。

 一方で紀子さまは、校長からじきじきに学校行事の説明を受けられる機会も多かったとか。未来の天皇にとってふさわしい教育環境かどうか、紀子さまは水面下で気を巡らせておられたのだと思います」

😇 学校側と紀子さまのご配慮により、悠仁殿下が伸び伸びと充実した学校生活を送られたことが伝わります。
何か文句ある?


お茶大から筑附の距離は約100メートル。悠仁さまは、紀子さまの数歩前を歩く格好でしたが、終始うつむいていました。沿道に集まった人たちから“おめでとうございます”と声をかけられても、見向きもされず。晴れの日とは思えない、沈んだご表情でした」(同・前)

 会場の体育館には椅子が等間隔に並べられ、紀子さまと悠仁さまも、大勢の人々に混ざって着席されていました。

「正門前には、悠仁さまの出待ちをする筑附中の男子生徒たちが集まっていました。
その視線に気づかれた紀子さまは、マスク越しにも伝わるほどの笑顔で会釈。一方の悠仁さまは“見て見ぬふり”という感じで、終始うつむきながら歩いておられました。行きと同じご学友母子に続く形で、徒歩で高校を後にされましたが、悠仁さまは、何度も後ろを振り返られて……。まるで何かから逃げようとされているようにも感じられました」(前出・記者)

“未来の天皇”という重責を背負う15歳の青年が逃れたいものとは、いったい――。
*太字は原文のママ。

😈 まず、15歳は青年ではなく少年です。
 悠仁殿下はもちろんですが、皇族は人気が頼りの芸能人では無い。悠仁殿下にいつ何時でも人影を見たら愛想を振りまくことを要求するほうが間違っているとは思わないのでしょうか。

とはいえ、国民が皇族を芸能人と錯覚するようになったのには皇族側にも責任はある。
国民が皇族を芸能人のように扱うようになった始まりは間違い無く皇太子妃になって間もない雅子さまにオバサングループが「マサコサマーッ!」と黄色い声を張り上げたあの瞬間からだろう。

女優と言われる美智子さまでさえ、美しさの全盛期だった皇太子妃時代には万遍無い御手ふりはされなかったし、ましてや国民が「美智子サマー!」と悲鳴のような声を上げることは無かった。
美智子さまが万遍無い御手振りをされるようになり「美智子サマー!」という声が上がるようになったのは、「マサコサマー!」と掛け声が掛かるようになってしばらく後だったはず。
最初に「マサコサマー!」と叫んだ女性グループはおそらく仕込みだったのだろうが、仕込んだ人物は飛んでもないことをしてくれたものだと思う。

「マサコサマー」と最初の掛け声が掛かるころには、雅子さまが前宣伝ほどのかたではないことに気が付く国民が増えていた。
私は「マサコサマー」を初めて聞いた時、まず皇族に掛け声をかける人がいることに驚き、次に「へー。雅子さまにもファンがいるのだ。」と呆れつつどこかほっとしたことを覚えている。

😊  悠仁殿下は芸能人のように見る者の視線にとらわれず、皇族として将来の天皇として気高く真っ直ぐに成長されますように。



高野槙の自生地 愛知県新城市

コウヤマキ(高野槙、高野槇、学名:Sciadopitys verticillata)は、マツ目コウヤマキ科の日本の固有種。常緑針葉樹で高木となる。別名ホンマキ。コウヤマキ科は1属1種であり、コウヤマキのみを含む。 

花言葉 奥ゆかしさ

😊 なんとまあ、日本の天皇に相応しい御印。
御印を決めるのは天皇ですから、上皇はその時初の男皇子悠仁殿下によほど期待されていたのでしょうか。


佳子さま、必死な皇室ファンのお見送りに吹き出す 奈良,神武天皇陵参拝後の電車移動 2015.3

😊 お姉様は愛想振りまきすぎ。これほどまでにぺこぺこされる必要はないと思うのですが…。