昨日横浜の三渓園に行ってきました。蒸し蒸しと梅雨独特の不快な暑さの日で、まぁ、外歩きにはちょっと辛い陽気でしたが、行って良かったです。
三渓園は明治時代末から大正時代にかけて、製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家、原三溪が造りあげた53000坪の日本庭園です。
京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物が点在しています。
今回は三溪が私庭としていた内苑ともともと一般に公開されていた外苑が一挙にみせていただけるということでした。
臨春閣
旧紀州徳川家の別邸。
徳川頼宣(1602-1671)が和歌山県岩出市に建てたものを移築した。頼宣は家康の十男。
鶴の間
狩野周信(1660-1728)の襖絵。
身代わり灯籠
千利休が刺客に襲われた時に体をかわしたにで流れた刀が当たったとされる灯籠。
まずはこの邸宅から始まります。
三渓園は明治時代末から大正時代にかけて、製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家、原三溪が造りあげた53000坪の日本庭園です。
京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物が点在しています。
今回は三溪が私庭としていた内苑ともともと一般に公開されていた外苑が一挙にみせていただけるということでした。
臨春閣
旧紀州徳川家の別邸。
徳川頼宣(1602-1671)が和歌山県岩出市に建てたものを移築した。頼宣は家康の十男。
鶴の間
狩野周信(1660-1728)の襖絵。
身代わり灯籠
千利休が刺客に襲われた時に体をかわしたにで流れた刀が当たったとされる灯籠。
まずはこの邸宅から始まります。
ほんとに昨日は暑くて、その上、園内は新緑の山ですごく蒸し蒸ししていました。てくてく、よく歩きましたよ。
途中、三溪記念館に立ち寄りましたら、そこには三溪さん自らの南画や染付けの丸帯、カキツバタの屏風絵など展示されていました。偉大な実業家であり、また芸術家であったことをしりました。そして、その丸帯は愛娘のためにデザインし、染めたものだということで、家族思いの方だったのだろうと思われます。
訪れる度・・・・その度ごとに・・・想いを馳せています。
菖蒲の頃が此処に合いますね、もやい舟に雁が止まっていたり。
蒸し暑かった昨日でしたが、楽しまれたご様子。
続きを楽しみにいています♪