昨日 アンスティチュ・フランセ日本(東京日仏学院)で行われているContemporary Computer Music Concertに行ってきました。
15:00~20:30までの間に5部に分かれていて、たくさんの作品を聴きました。
私は途中から参加でしたが、充分楽しみました。
このコンサートはすべてミュージック・コンクレートで、生活の中の音の採集・収集・再構築で作られる芸術です。
河の音、鐘の音、砂利道をザクザク歩く音、何かを破ったり砕いたりする音、ドアの音、駅のホームのアナウンスの音、量販店の呼び込みの声、子供達の声、動物の鳴き声、風の音・・・・・・などなど。
身近な音を音の素材として使うこと、混合することで新たな音を作り出すこと。
楽器というは、ドならドという約束された音が出るようになっていますが、たとえば電車の音は違うんですよね。たくさん採ってきっと後で選んで使うんでしょう。
とても面白い世界です。
圧巻は今回のACSM116賞の審査委員長、招聘作曲家である、クリスティーヌ・グルド氏によるレクチャーコンサートです。
それは3曲有り、
「多様な運河」「囚われの条件」「火花」
私の感想ですが、あくまでも。
この空間は使われる電気系統のために最小限の灯りがあるだけでしばらくしても目が慣れない、真っ暗です。部屋のあちこちに配置されたスピーカーからの音だけの世界です。
静寂の音の表し方。
多重な音使い。パリの教会の鐘の音や水の音、木が裂かれる音など普段身の回りにありながら気にならない音の存在が生き生きと意味を持ってきます。
これも私の音楽観に、あぁー、そうなんだと思いつくことがありました。
「囚われの条件」ではこっそり人の家に隠れていて住人が帰ってきて、その一部始終を鍵穴から覗いているような緊迫感を感じました。(私だけでしょうけど)。その住人はその時イライラしていて、乱暴なドアの開け閉め、それも何度も何度も確かめるようにやり直すように。そしてテーブルの上に鍵をジャリっと置き、それから生木を裂く音、これが凄い、床板を無理に剥がすような、木が割れる時のストレスが私の胃にくるんですよね。泥棒になって潜んでいる私は堪らない閉塞感と恐怖を感じましたよ。そんな疑似体験を勝手にしました。
これもあぁー、そうなのか、と感じるものがあり勉強になりました。
絵画を見ているような、映画を見ているような、まさに体験でいろいろ考えさせられました。
コンサート終了後にはカクテルパーティーもあり、懐かしい友人にも会えました。
今年はフランスと日本で現代音楽のとても重要な年になるようです。
目が離せない一年になりそうです。
そうそう、行きに通った「俺のフレンチ」。
16:30ころでしたが、もうこんなに並んでいました。
なかなか行けないお店だなぁー。