石川県七尾美術館に行ってきました。
長谷川等伯一門と能登ー"伝説"は、この地よりはじまったー
最終日に間に合いました。
七尾駅から車で5分ほどのところにある美術館です。




長谷川等伯は七尾出身で、桃山時代に活躍した絵師。(1539~1610),
この展覧会の見所は等伯の養祖父、養父、そしてその流れを汲む等誉の作品まで一挙に見れることです。
等伯は幼い頃に染物屋で画家の宗清の養子となり、家業画業を学び受け継ぎます。養祖父、無分もまた染物屋で画家。
無分は生没年不詳であり、今展覧会で唯一現存する、涅槃図が公開されていました。絹地に描かれた涅槃図の見事なこと。素晴らしかったです。
その無分の涅槃図を構図にして、宗清、等伯、等誉の4代に亘る涅槃図を比較もでき、貴重な経験ができました。
能登における長谷川派の存在とこの地をを169年に亘り統治した畠山氏の歴史はたいへん深く興味深いものです。
30歳頃まで能登で仏画を描いていた等伯はその後京都に活動の場を移し、72歳で亡くなる。
長谷川等伯一門と能登ー"伝説"は、この地よりはじまったー
最終日に間に合いました。
七尾駅から車で5分ほどのところにある美術館です。




長谷川等伯は七尾出身で、桃山時代に活躍した絵師。(1539~1610),
この展覧会の見所は等伯の養祖父、養父、そしてその流れを汲む等誉の作品まで一挙に見れることです。
等伯は幼い頃に染物屋で画家の宗清の養子となり、家業画業を学び受け継ぎます。養祖父、無分もまた染物屋で画家。
無分は生没年不詳であり、今展覧会で唯一現存する、涅槃図が公開されていました。絹地に描かれた涅槃図の見事なこと。素晴らしかったです。
その無分の涅槃図を構図にして、宗清、等伯、等誉の4代に亘る涅槃図を比較もでき、貴重な経験ができました。
能登における長谷川派の存在とこの地をを169年に亘り統治した畠山氏の歴史はたいへん深く興味深いものです。
30歳頃まで能登で仏画を描いていた等伯はその後京都に活動の場を移し、72歳で亡くなる。
