ロンドの日記

チェンバロとオルガンと16歳のにゃんこ。
音楽と美味しい毎日です。

坂口謹一郎博士記念館と百閒町散歩

2015-08-25 09:27:40 | 散歩
新潟県上越市の百閒町。
坂口謹一郎博士は菌の研究家で、発酵、醸造の専門家。「酒の神様」としえ、新潟の酒造りに大きな貢献をした方です。また歌人としても活躍。
館内には博士の書かれた色紙頑張れ多く展示されていて、温かなお人柄が伝わってきます。


写真撮影はOKです。





館内には酒造りの資料も展示されています。




お酒好きな方は一度詣でてみてはいかがですか?

記念館からすぐの所に見つけた酒屋さんでお菓子屋さんの丸田屋。


ちょっと気になって。

そこで麩まんじゅうと焼きチーズケーキを買いました。
麩まんじゅうは傷みやすいので冷凍で。




いいあんこです。
美味しい!

焼きチーズケーキ。




ワインに合うスイーツです。
塩味と甘みが絶妙。

地方紙の雑誌に掲載されたとのこと、なるほどの美味しさです。
この日もあと2個という所、もちろん2個いただいてきました。

ぜひ、お近くの方お試しください。

上野の桜

2015-03-01 05:30:28 | 散歩
昨日のこと。
上野の東京都美術館へ展覧会を見に行きました。


行動展は前回の六本木の新国立美術館の展示にも行きました。
力作揃いで絵の大きさにもエネルギーにも圧倒されました。
神経が張り詰めていて、隙のない絵画やオブジェを見ていると、負けそうになります。これは食うか食われるかです。

久しぶりに行った上野は大分様変わりしていました。
動物園の横には遊園地のようなものできていました。


園内ではちょうど消防訓練の体験イベントを開催中で、今では珍しいチンドン屋さんの音が賑やか。
他にもいろいろイベントをやっていました。アンデスのケーナの演奏や手品。

土曜日の昼間だったからでしょうが、とても賑やかでした。
園内のスターバックス他のカフェはどこも行列でした。

駅に戻る途中1本のカンザクラを見つけました。
1本だけです。


満開でした。




少し早いお花見ができました。

三渓園 旧東慶寺仏殿 合掌造 旧矢箆原家住宅 旧燈明寺本堂

2013-06-17 14:06:27 | 散歩
旧東慶寺仏殿は室町時代永正6年(1509)に再建された鎌倉東慶寺の仏殿。
駆け込み寺、縁切寺といわれる。




旧矢箆原家住宅
江戸時代宝暦年間(1715~1764)飛騨三長者のひとり岩瀬の(矢箆原)佐助の家として、飛騨高山の大工によって建てられた。


御母衣ダムの建設で湖底に沈む運命となったので、所有者矢箆原家から三渓園に寄贈された。

立派な屋根裏です。


これだけの豪華な民家が湖底に沈む、など恐ろしいことですね。よくぞ助かってくれたと思います。

今回の特別公開の最後の重要文化財は旧燈明寺本堂。

燈明寺三重塔と同じく天平7年聖武天皇により建てられた。
近年まで京都相楽郡加茂町に所在した日蓮宗の寺院。

写真を撮り忘れてしまいました。


素晴らしい貴重な経験でした。
横浜駅からバスに乗って30分くらいです。

三渓園 臥龍梅 横笛庵

2013-06-17 13:51:22 | 散歩
臥龍梅は原三溪が援助した画家下山観山筆による「弱法師」のモデルとなった。


横笛庵


ひっそりと佇む庵です。
今から800年前の悲恋物語りです。
女官横笛と家臣入道のことです。




入道から送られた千束の恋文で己の像を造り、この庵に安置されていたのですが、第二次世界大戦の被害に合い、今は喪失してしまったのです。


なんてロマンティックなお話でしょう。



三渓園 旧燈明寺三重塔 初音茶屋

2013-06-17 13:12:28 | 散歩
臨春閣を回り込んで三重塔に向かいます。




池の橋の上には腰掛けがありました。良い風がさぁ~と吹いていきます。





京都相楽郡加茂町の燈明寺にあった三重塔で、1914年に三渓園に移築された。
燈明寺は天平7年(735)聖武天皇の勅願によって建てられた寺院とされ、室町時代に建てられたものと推定され、関東で最古の塔である。



初音茶屋


かつて三渓園を訪れたインドのノーベル賞文学者タゴールや芥川龍之介らによって書き記された茶室。



当時はいつでも麦茶がふるまわれた。

芥川龍之介は1915年初秋。
「ひとはかり うく香煎や白湯の秋」
と俳句に残している。



中央に釜を据えたと思われます。今は散策の休憩所です。

三渓園 蓮華院 旧天瑞寺寿塔覆堂

2013-06-17 11:59:42 | 散歩
三渓園、織田有楽斉の茶室から苔生す道を歩くと竹藪に囲まれた蓮華院が現れます。


原三溪が大正6年(1917)に建てた茶室です。6畳と2畳の中板を有する。
瀟酒な佇まいで竹林の中の姿が美しい。




旧天瑞寺寿塔覆堂


寿塔とは長寿を祝って生存中に建てる墓のこと。
豊臣秀吉は母大政所が大病を患った時にその平癒祈願のために京都大徳寺内に天瑞寺を建てた。
平癒されたので1592年に石造りの寿塔を建てました。この建物はその寿塔の覆堂です。寿塔は現在も大徳寺内にある。

三渓園 聴秋閣 春草盧

2013-06-16 20:40:19 | 散歩
3代将軍徳川家光が1623年の上洛に際し、京都二条城内に作られた建造物。
後に春日局に賜り江戸稲葉侯邸に移された。



シンメトリーの作りで、シャープでモダンな印象すらあります。









聴秋閣は後ろに山を背負い、ちょっとした山登りです。


三重塔を臨む、ここが絶景です。





春草盧

信長の弟、織田有楽斉(1547-1621)が建てたと伝えられる茶室。
月華殿の隣に建てられていた茶室で、窓が九つあるので九窓亭とも呼ばれる。


手前に苔むした待合。



三渓園 月華殿 天授院

2013-06-16 18:25:11 | 散歩
三渓園重文特別公開。
2番目に訪れたのが、月華殿。


徳川家康が1603年に京都伏見城内に建て、諸大名伺候の際の控え室に当てたものと伝えられる、






3番目は、天授院。


もとは鎌倉心平寺(建長寺塔頭)の地蔵堂といわれている。
大正5年(1916)に三渓園に移築され、原家の持仏堂として使われた。



紫陽花の道を下って、次の聴秋閣に向かう。返り観て右手に月華殿、左手奥に天授院。



三渓園 重文10棟特別公開

2013-06-15 11:10:56 | 散歩
昨日横浜の三渓園に行ってきました。蒸し蒸しと梅雨独特の不快な暑さの日で、まぁ、外歩きにはちょっと辛い陽気でしたが、行って良かったです。


三渓園は明治時代末から大正時代にかけて、製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家、原三溪が造りあげた53000坪の日本庭園です。
京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物が点在しています。
今回は三溪が私庭としていた内苑ともともと一般に公開されていた外苑が一挙にみせていただけるということでした。

臨春閣

旧紀州徳川家の別邸。
徳川頼宣(1602-1671)が和歌山県岩出市に建てたものを移築した。頼宣は家康の十男。

鶴の間

狩野周信(1660-1728)の襖絵。














身代わり灯籠


千利休が刺客に襲われた時に体をかわしたにで流れた刀が当たったとされる灯籠。


まずはこの邸宅から始まります。