おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

薫の場合

2024年06月20日 | 小金井充の

  汗に濡れた制服のすそを、初夏の風になびかせ、薫は、ポケットに手を突っ込んで、暗い路地を、ひとり、トボトボと歩いている。白い粉のようなものが、そこだけを照らすLEDの街灯の下を、薫は、うつむいたまま通り過ぎる。その顔は、深い疲労と、LEDの光で明暗が強調されたためとで、白い能面のように、無表情に見える。いくつかの白い粉のなかを過ぎて、薫は今日初めて、顔をあげた。行く手の角に、コンビニの明かりがある。薫は、仕事の間じゅう、帰りはコンビニに寄ることだけを、考えていた。今、薫の目の前で、スッと自動ドアが開く。流れてくる店内のニオイが、薫の目を覚ます。瞳に輝きが戻って、一直線に、薫はスイーツの棚へと歩み寄る。脇の小ぶりな買い物かごを、ほとんど見ることもなく手に取り、薫は、スイーツの棚の一点を凝視する。その顔がほころぶ。安堵の溜め息がもれる。誰に遠慮することもなく、薫は自分の手を伸ばして、昼間そのことばかりを想っていた、定番の菓子をそっとにぎる。売れてしまっていないか不安だった。それが今や、確かに自分のものなのだ。まだ買ってもいないが、心の中の何か張り詰めたものが、ほどけていく。二個目を手に取り、三個目に手を出したが、これは食べきれない。同じ過ちは犯すまいと、薫はあえて菓子から目をそらし、飲料のほうへ向かう。その菓子にはコレというものが、薫にはある。突然、薫は足早になった。そのコレというものも、また競争率が高いのだ。胸が高鳴る。冷蔵庫の棚を見上げたその先に、あった。薫は、思わず笑ってしまう。職場の誰かに会うという心配はない。だがもし会えば、たぶん、薫とは分からないだろう。息をしている。薫は思った。高校の嫌なプールの授業で、潜水の試験があった。あの水から身を出すときの必死さ。開放感。薫はあの日、自分が息をしているのを知った。会計をピッと済ませ、店を出る。なんだろうこの身の軽さは。部屋へ駆け込むことすらも、できるじゃないか。薫は、汗で濡れた制服のまま、机の上に菓子などを広げ、その前に座る。この光景を、昼間どれだけ空想しただろう。我慢なんかできやしない。ひとくち。甘い香りが、口と鼻いっぱいに広がる。んんんんっ!。そしてすかさず飲む。くぅぅぅっ!。「コレ!」と薫は言う。「コレ!」。全身に血が巡る。体が熱い。愉快だ。生きてると、薫は思う。一八〇に薫の年齢を掛ける。この世で薫が生きた時間。


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