岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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リボンの長き麦藁帽子・戦争を嘆く歌 尾崎左永子の短歌

2016年08月17日 00時40分24秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・戦争に失ひしもののひとつにてリボンの長き麦藁帽子


                尾崎左永子著『さるびあ街』所収 1957年刊


 『さるびあ街』は尾崎左永子の第一歌集だ。この歌集は作者が離婚した時期の作品を収録している。学生結婚が破たんしたのだ。それはまた、戦争が終わった時期と符合する。


 作者はよく戦時体験を話す。雑誌に寄稿する場合も多い。


 おもな戦時の体験談。「大学では十分な学問ができなかった。それでも担当の教員が豆を持ってきてそれをつまみながら、車座で国文学の勉強をした。」「東京の空襲では赤子の黒焦げの死体をまたいで歩いた。その体験は忘れられない。」「戦争には絶対反対だ。」「ひめゆり部隊は同年代。それを思うと沖縄へはとても行けない。」


 作品の「戦争に失ったもの」とは何か。具体的には提示されていない。だが暗示されている。「リボンの長い麦藁帽子」だ。


 リボンのついた麦藁帽を大人が被ることはない。被るのは少女だ。戦争で失われたもの。それは作者の青春時代だろう。青春を謳歌することもなかっただろう。


 僕の父親は尾崎の世代。父は昭和2年生まれだから尾崎よりわずか年下だ。その父でさえ、「生まれてから、死ぬことばかり考えていた」という。軍国少年だったのだ。まず天寿を全うしることはない。いずれは戦場に送られて戦死するだろうというのだ。

 当時の若者はこういう青春時代を送った。その一つ前の世代は「大正デモクラシー」の時代に青春期を送った。ぼくの祖父がその世代だ。だから祖父の世代と、父の世代は全く違う青春期を送ったのだ。

 どちらの青春期がまっとうかは言うまでもないだろう。戦争は同時代の人間の生活を根こそぎ破壊する。特に尾崎の世代にはそれを実感している人が多いだろう。それを暗示に留めて表現しているところに詩がある。すべて書いてしまっては説明になる。






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