岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

星座α25号・作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで

2021年07月09日 18時40分18秒 | 作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで
星座α25号・作品批評:茂吉と佐太郎の歌論に学んで

実感のある歌を

 詩と事実報告は何処が違うか。それは抒情(喜怒哀楽)の実感があるかどうか、実感が深ければ、それだけ深い歌になる。感想文ではなくなるのだ。

 今号は、一人7首を目途に選歌したが、粒ぞろいの作者の場合は8首選んだ。

・(冬の福寿草の歌)

 初句の比喩が効いている。朝露の光る朝を思わせて、福寿草が咲いている。実景が見えるようだ。
 ・(ハクモクレンの落花の歌)
 結句が効いている。三句目が字余りだがハクモクレンの花の「ひとつ」の印象が深くなる。句またがりにも言えるのだが、必然性のある字余りでありたい。必然性は抒情が深まるか否か、音感が良好になるかにある。

・(夜風にガラス戸が鳴りやむ歌)

一瞬を切りとっている。それゆえ印象が深く刻まれる。作品に鋭さが出る。

・(コロナ禍で看取れなかった歌)

 コロナが原因で、見舞いのできぬ病院や介護施設が当たり前のようにある。肉親との終(つい)の別れの出来ぬ人々も多い。そうした実感を、下の句の表現で鮮明にしている。

・(木香薔薇の咲く歌)

 季節の変わり目は、寒暖の差が大きく、気圧も乱高下する。人間なら体調を崩すところだが、自然界の花は咲くべき時には咲く。四句目が効いている。

・(コロナ禍で生活形態がかわるなか仰ぐさくらの歌)

 コロナ下の自粛、営業時間短縮、ソーシャルディスタンスなど生活が様変わりしている。このような状況下で桜をみるとは誰が予想したか。





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