今年の国内旅行も昨年秋の神奈川シニア連合の旅行に引き続き「震災被災地見学と母畑(ぼばた)温泉の旅」と称して、被災地の復興をささやかながら支援するバス旅行を45名が参加し実施しました。5月16・17日の1泊2日の旅です。幸いにしてお天気にも恵まれ楽しい旅の始まりです。
集合時間の8時45分には横浜駅西口天理ビル前に参加者全員が集合し、TOTO観光バスに乗車定刻どおりの出発です。湾岸、首都高を通過するあたりでは高曇りでしたが、視界はマアマアで東京スカイツリーも白っぽいシルエットで車窓から望めました。車中では磯村会長のあいさつやコースの確認、注意事項などの説明を受けました。
往路は渋滞に巻き込まれることもなく順調にバスを走らせ、守谷SAでトイレ休憩となりました。ここまで来ると走行する車の台数はグッと減りました。順調に常磐自動車道、常陸那珂道路を昼食休憩の地「ひたち海浜公園」まで走らせ、11時40分には「久楽」という食堂に到着、お刺身定食を味わいました。ここは茨城県ですが、震災の影響が残っています。
昼食後、私たちは、本日の目的地「いわき市薄磯」地区に向かいました。常磐道日立南太田ICから高速道に乗りいわき湯本ICを下りると様相は一変しました。まったく建物がないんです。土台ばかりが目に入ってきます。
ここで現地の語り部さんの説明をバスの中でうけました。この薄磯地区は人口700名くらいですが、167名の犠牲者が出てしまったそうです。昼間だからこの数で済んだけれど、夜間だったらどうなったことかと話されました
この地区は原発事故からは免れたためか、復興救援の手が差し伸べられていないようで残念ですが、いわき市長も未だ1度も訪れてないそうです。この鳥居の奥の高台に避難して災難をまぬかれた人も多いそうです。
この後、塩屋崎灯台に向かいましたが、震災の影響か平日のせいか観光客が見当たりません。勿論土産店は戸をしめたまま、「美空ひばり」さんの銅像や碑が建立され1.5メートルまで近ずくと「乱れ髪」や「東京キッド」の歌が流れますが、華やかな美空ひばりさんも寂しそうです。
この碑の前に立つと「乱れ髪」の歌が流れます。後方は塩谷崎灯台ですが、灯台までは震災の影響で危険が伴い登ることができません。
美空ひばりの碑と塩屋崎灯台
薄磯地区を見学した後には空しさだけが残りました。
ここからは参加したみなさんの交流の場です。磐越道をひた走り母畑温泉「八幡屋」に到着したのは17時半過ぎ、入浴もそこそこに18時45分から交流宴会の始まりです。先ずは平井さんの音頭で「カンパイ」です。
お酒が入ると、昼間の空しさとは打って変わり、徐々に盛り上がっていきました。
いよいよ女性トリオの登場でカラオケの始まりです。リクエストが多く、宴会時間内では全員が歌うことができません。
いつものとおり、フィナーレは全員の合唱で「青い山脈」を歌ってお開きとなりました。
翌朝は5時に目が覚めて朝風呂へ行く人、散歩する人様々ですが、7時半からそろって朝食の時間です。土地柄か味噌汁の味が濃かったです。
2日目は絶好の日和となりました。雲1つない快晴、新緑がとても眩しかったのが印象に残りました。
母畑温泉「八幡屋」の全景
9時の出発前に全員で記念写真を撮りました。宿のおかみさんや従業員の見送りを受けながら、今日の見学地「あぶくま洞」に出発です。
あぶくま洞周辺は花崗岩に蔽われていて威容を誇っていました。
鍾乳洞の一部です。
約1時間の見学で鍾乳洞を出ると、新緑の眩しさが目に飛び込んできました。
ここでも全員で記念撮影をしました
2度目の見学地は「国宝白水阿弥陀堂」です。このお堂は850年前に人皇二条天皇の御宇、永暦元年(1160)3月、鎮守府将軍藤原清衝の娘であった岩城の国守岩城太夫則道公の夫人徳姫が、慈白水に霊地を得て建立しました。「無量寿院願成寺」と称するそうで、本堂には阿弥陀三尊像が安置されています。
最後に訪問地、昼食休憩の「いわき ら・ら・ミウ」は震災後建設された新しいショッピングセンターですが、他の施設は復旧が遅れており、港全体の復旧には至っていません。また、近海の魚は原発の影響で獲ることができません。施設の中には海上保安庁、いわき市等の震災関係のブーツがあり色々と学習が出来ました。
「 いわき ら・ら・ミウ」内で昼食、買い物、震災の学習後、14時30分にバスは出発、時々渋滞に巻き込まれながらも18時30分過ぎに、出発地の横浜駅西口・天理ビル前に無事に着きました。
又、今回の旅には神奈川県支部協議会会員で最高齢となる98歳の稲葉さんが参加され、あぶくま洞内の鍾乳石群など1時間に及ぶ散策見学を一緒にしました。
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