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イマを見つめて
提言します

正しい「八百長」のおはなし

2006年08月06日 05時18分00秒 | その他
どうも亀田VSランダエタ戦のエントリーで、
「この試合は八百長ではない」
というワンフレーズに過剰反応を示される方が
結構いらっしゃる様子なので、解説いたします。

まず「八百長」という言葉の説明です。
むかしむかし、八百屋の長兵衛さんという人がおりましたとさ。
この人がお得意様としている相撲部屋の親方が、大の囲碁好きで、長兵衛さんといつも碁を打ってました。
ところが親方は強くない。弱過ぎ!
で、まともに戦えば、長兵衛さんが勝ってしまう。しかし親方に勝ってしまうと機嫌が悪くなって野菜を買ってもらえなくなるかもしれない。そこで長兵衛さんは、わざと負けて相手の御機嫌を取って野菜を買ってもらってましたとさ。
これが語源です(伝承話なので多少のディテールの違いは有ります)。
つまり「八百長」とはわざと負けることを言います。

八百長という言葉が頻繁に使われた例として、プロ野球の「黒い霧」事件が挙げられるでしょう。野球賭博のために、わざと負けようとしたと言われる事件です。
また大相撲で7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の勝率が異常に高いことから「八百長ではないか?」と指摘する声もあります。これは7勝7敗力士と対戦する相手が、わざと負けているのでは?という疑問です。
以上の例からもお解かりのように、「八百長」は勝負の当事者による行為です。
亀田VSランダエタ戦で「八百長」を行える人間は2人しかいません。亀田興毅とファン・ランダエタです。
筆者はランダエタが故意に負けを狙って戦っていたようには見えなかったので「八百長はなかった」と記しただけです。
もちろん、これは筆者の感想ですから「ランダエタは、わざと劣勢に戦い、判定負けを狙った」と見るのも否定しません。

今回の疑惑は選手の戦い方ではなく、ジャッジの採点でしょう。そこに圧力や働きかけが有ったのか、あるいはジャッジ自らが様々な状況に配慮して採点したのか、その辺の真実は解りません。どちらの可能性もありそうに思えます。
ただし、ジャッジだけを買収して勝たせたという見方は現実的では無いと感じます。なぜならば、試合中にKOされてしまえば何の意味も持たなくなります。ならばKOしないようにランダエタも買収すれば良いのですが、ランダエタを買収するなら、ジャッジを買収する必要はなくなります。ランダエタにダウンしてもらえば良いだけです。そのような仮説を考えると、今回のケースは、グレーゾーン。明確なシナリオ通りに進められたというよりは、大差で負けるのは困るという働きかけか、ボクシング界の力関係、或いは試合の空気を読んだジャッジ自身の判断という線が強いように思われるので「大人の配慮」という微妙な表現を用いています。これも筆者の個人的な感想ですから、違う見方があっても普通だと思います。真実を知るのは当事者だけです。

八百長=不正ではありません(※八百長⊂不正)。
従って「八百長はなかった」=「不正はなかった」でもありません。


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