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時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

上祐はどう言う?

2006年09月15日 20時55分36秒 | マスコミ
夕方のニュース(たしかTBS)に上祐史浩が出演して松本死刑確定について語っていた。
筆者がオウム関係者で一番興味がある人物といえば、松本ではなく上祐かもしれない。それは色々な面で筆者と近しい部分があるからかもしれない。ただし、決して好意でもなければ、擁護でもない。純粋な興味である。

オウム事件のさなか、上祐はしきりにマスコミに登場して、しゃべりまくっていた。当時、生まれた流行語が「ああいえば上祐」。「ああいえば こういう」のダジャレで、彼の口の減らなさを揶揄した言葉。しかし、この言葉はジャーナリスト側の敗北、きつく言えば「負け犬の遠吠え」のようにすら聞こえる。あれだけ好き勝手な発言をさせておいて、結局マスコミは言質をひとつも取れなかった。
上祐とともにマスコミに出た村井は致命的な失言をしている。たしか『朝ナマ』だったと思うが、村井は聞かれてもいないのに、第七サティアンの農薬製造プラント(当時のオウムの主張)に、その材質名を発表している。難しい金属名なので覚えていないが、すかさず同じ出演者の化学専門家に「その金属を使用しているのは、サリン製造のための施設だからだ。農薬製造に、そんな金属は使わない」と指摘された。あくまでも噂だが、村井刺殺は、この失言が原因という説がある。「あいつはペラペラと余計なことをしゃべるから口封じ」ということだ。もちろん推測の域を出ない話だ。
にしても、なぜ村井が、そんな余計なことを暴露してしまったのか? これも当人が死亡したので解らないが、「彼は純粋な化学馬鹿だったから、サリンなんていう物質を自分の手で作り出せたことが嬉しくて仕方なく、隠しておけなかった」などと噂される。
それに比べて上祐は、あれだけペラペラとしゃべりながらも、結局は重要な情報はひとつも掴まれなかった。もちろん、そんなことをしていたら、今頃はこの世にいなかったか、あるいは塀の中にずっと居る羽目になっていただろう。

上祐という人物は、真実はどんな人間だったのか?――非常に興味がある。考えられる可能性は3つある。
1.当時は麻原のマインド・コントロール下にあり、現在は解けている。
2.当時も現在も、麻原のマインド・コントロールは及んでいなかった。
3.当時も現在も、麻原のマインド・コントロール下にある。
最も世間に良いのは1だろう。1ならば、今後は世間に迷惑を掛ける可能性が最も低い。2の場合、オウム事件そのものを再検証する必要性が生じる。オウム事件は、麻原の影響を受けた信者たちが起こした事件と見ている。しかし上祐と同様に、他の教団幹部も自分の意志で実行していたのならば、大きく様相が異なる。あるいは麻原という存在を利用して自分の野望実現に動いた可能性すら考えられる。そして3の場合は、一番危険な状況となる。今後も何をしでかすか予測できない。

はたして上祐という人間のこの11年間は、1なのか、2なのか、3なのか……。非常に興味があるし、真実を知りたい。もちろん、それが語られることは、まず無いだろうが……。(注・本文中敬称略)
コメント (2)
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麻原彰晃・死刑確定

2006年09月15日 17時06分52秒 | 社会・経済
オウム真理教教祖・松本智津夫被告の死刑が確定した

実行犯である弟子たちも死刑になっている犯人がいるのだから首謀者が最も重い罪に処せられるのは当然だ。
「弟子たちが勝手に実行した」という主張が無罪の根拠のようだが、サティアンに建設されたサリン・プラントや各種の武器工場など、独裁者である麻原の関与なしで行われることは考えられない。

それにしても、裁判の判決ではなく控訴趣意書の未提出で確定と後味が悪い、すっきりしない結果になった。江川紹子さんが「すっきりしないが、そもそも11年は長すぎる。もう結審して当然」と言ってたが極めて同感。

裁判の際に弁護士が、時々こういう小細工をするが
(当人によれば正当な要求とか)ちゃんと裁判をやって欲しい。訴訟能力が無いと争うにしても、控訴趣意書を提出したうえで控訴審で争うべき。それがルールなのだから。法曹関係者が法に則さない争いをしようというのが、そもそもの間違いだ。
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