自然と生きる

気ままに健康で楽しく生きる。そして、天寿120歳を目指す。

何の為に庭木を植えるのか

2020-12-15 06:38:57 | 日記

 庭木には、見せる庭木なのか見る庭

木なのかということがあります。

生垣は仕切り区切りという意味があり

ますので別とします。

 

見せるとは、他人様に見せること。

門かぶりの松なんてものは明らかに見

せるため、「どうだ」ということです。

大きな屋敷で立派な庭木を壁沿いに並

べてるのも同じで見せるためです。

見るとは、自分が見るということ。

縁側の前に池を作ってモミジを流枝た

り仕立物を据えたりするのは自分が見

るための庭木です。

当然、両方を兼ねているということも

ありますが、人様に見せる見栄のため

の庭木か、自分が愛でて楽しむ庭木か

という視点が昨今の人には無い様に思

います。

造園会社が勝手に作ったように言う人

や金を惜しむ人、庭木を面倒がる人も

少なからずいるのが現実ですが、それ

でも庭を作った時は自己満足でいた訳

です。

そこで、何の為に庭木を植えるのか他

人に見せるのか自分で見るのかという

視点は、お庭のケジメとしてとても重

要になります。

 

ワンポイントで1つ格好を付けて置け

ば、キュッと家が引き締まる玄関脇の

犬槙などは良いもんですが、それ1本

で十分で、ごちゃごちゃ植えるから面

倒になるし掃除の手間が増えるし、植

木屋への手間賃も上がるというもの。

 

松が欲しいなら縁側の前に1本でいい。

クリスマスツリーを庭の真ん中に据え

てやって年に一度楽しむのもいい。

死ぬ間際まで楽しんで死ぬ前に伐って

死ねば後を汚さない。

後継ぎが残してくれと管理はすると言

うのなら残せばいい。それもケジメだ。

爺様が残した松を息子が滅茶苦茶にし

たあげく、伐るでもなくチョロ枝を残

して見るも無残な様を残して平気でい

るようでは、家が栄えない。

先日も相談だというので見に行くと、

無い方がマシですよと言いましたら、

結局伐採することになりました。

 

誰が何を云おうと庭木は見た目が全て

だから。それに荒れた庭木は家内事情

をも浮き彫りにしてしまう。他人様は

黙って見ている知っている。

 

誰でも分かるし感じるものは美意識で、

学歴社会で綺麗好き社会で情報社会の

昨今で、奇麗な庭園はいつでも見れる

し庭木の画像も沢山見れる。剪定動画

だって無料で見れる時代です。

知らない分からない素人だからは誤魔

化しでしかありません。

 

自分の家の庭木は、見せる庭木か見る

庭木なのか、少しは考えて見ましょう

というのが、剪定屋さんの提案です。

 

それから、自分が普段見ることも無い

関心すら無い庭木、庭の中に埋もれた

庭木、何も考えずに植えた無意味な庭

木、こぼれ種で勝手に生えてきたよう

な不要な木、実際には要らない木は多

いと思われます。

もうじき正月休み。お庭の整理整頓を

考えて見るのはいかがでしょうか。

 

ではでは。

 

 

 


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