宇和島城は文禄4年(1595年) 藤堂高虎が宇和郡7万石を与えられ入城、築城の名手・藤堂高虎の縄張りにより、慶長6年(1601年) 現在の姿の城が完成し宇和島城と名付けられる。慶長19年(1614年) 伊達政宗の長男(庶子のため嫡子ではない)・伊達秀宗が10万石で入封。 2代藩主・宗利により老朽化した城の改修に着手、寛文11年(1671年) に竣工した。明治になり櫓・城門などが解体されたが天守は残り、市内が焼野原になる戦災にも免れた。
2013年5月31日、四国の旅で伊予西条からレンタカーで宇和島まで行き、標高74メートルの城山を歩いて登城した。登って行く道は草木が生い茂り、石垣は苔むしている。この城山の植物は300種を数えると言う。本丸には天守だけが残り、新しいものは何も無いのが良い、天守から海の方を見ると、リアス式の海が近くまで切れ込んでいるのが判る。この日は宇和島泊り、宇和島風鯛飯を食べたが、ぶっかけご飯みたいだった。
長屋門から入る
石段
切り株
石垣
石段は続く
一之門跡
本丸
天守
天守内部
天守から海を見る
2013年5月31日、四国の旅で伊予西条からレンタカーで宇和島まで行き、標高74メートルの城山を歩いて登城した。登って行く道は草木が生い茂り、石垣は苔むしている。この城山の植物は300種を数えると言う。本丸には天守だけが残り、新しいものは何も無いのが良い、天守から海の方を見ると、リアス式の海が近くまで切れ込んでいるのが判る。この日は宇和島泊り、宇和島風鯛飯を食べたが、ぶっかけご飯みたいだった。
長屋門から入る
石段
切り株
石垣
石段は続く
一之門跡
本丸
天守
天守内部
天守から海を見る