熊本城は安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正により築かれ、天下の名城の一つとされてきた。1877年(明治10年)の西南戦争では、西郷軍14000人の攻撃に耐え、西郷軍の将をして「清正公に負けた」と言わしめたが、西南戦争後から大正期までに陸軍により順次破却された。1960年(昭和35年)の熊本国体開催と築城350年を期に、外観復元で大小天守と平櫓、塀などを再建した、天守は鉄筋コンクリート造りで、内部は熊本市立熊本博物館の分館として史料等が展示され、最上階は展望スペースとなっている。2007年(平成19年)築城400年に際して、本丸御殿が史料に忠実に再現された。
2009年5月25日、九州の一宮歴訪の旅の2日目に寄った、スケールの大きさに圧倒されると共に、本丸御殿の内装の素晴らしさには感心した。ここからは阿蘇の宿へ。
本丸御殿内部
襖絵
2009年5月25日、九州の一宮歴訪の旅の2日目に寄った、スケールの大きさに圧倒されると共に、本丸御殿の内装の素晴らしさには感心した。ここからは阿蘇の宿へ。
本丸御殿内部
襖絵