「太閤さんのお城」とも呼ばれている大阪城は大坂夏の陣で落城し灰燼に帰した。その後、2代将軍徳川秀忠によって1629年(寛永6年)に再建されたが、1665年(寛文5年)には落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たない城であった。昭和になって、昭和天皇の即位記念事業として、1931年(昭和6年)に天守閣が再建され、大阪城公園も開園した。その後、大阪大空襲でも倒壊すること無く現在に至っている。
2013年3月4日、南紀旅の最後に大阪に泊まり、生國魂神社に参拝してから大阪城公園へ行った。公園は広い、地下鉄大阪ビジネスパーク駅で降りて大阪城ホールの横を抜けて外堀を渡り、極楽橋から内堀を過ぎて天守閣に来た時には草臥れた。天守閣に登ってから梅林へ、南紀では裏切られた梅花は、最盛期とは言えないが見頃にはなっていた。
2013年3月4日、南紀旅の最後に大阪に泊まり、生國魂神社に参拝してから大阪城公園へ行った。公園は広い、地下鉄大阪ビジネスパーク駅で降りて大阪城ホールの横を抜けて外堀を渡り、極楽橋から内堀を過ぎて天守閣に来た時には草臥れた。天守閣に登ってから梅林へ、南紀では裏切られた梅花は、最盛期とは言えないが見頃にはなっていた。
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