シニアのウエさんの旅日記

神社を軸に全国各地を歩いてます。

神社歴訪ー109.羽黒山神社(出羽旅)

2013-04-24 08:14:26 | 旅行
 2009年2度目の東北旅は8月に車で日本海側へ、山形と秋田の境にある出羽国一宮が主目的だが、月山道路を走り、先に羽黒山神社に詣でた。月山・湯殿山・羽黒山を合わせて出羽三山と称し「日本三大修験山」の一つになっているが、月山・湯殿山は冬季は登れないので、羽黒山に三神合祭殿が設けられている。表参道から登る杉並木の石段は2,446段もあって登るのは無理、山上の境内まで車で登る。三神合祭殿は豪壮、その前にある鏡池には水草がびっしり、鏡池からは平安・鎌倉から江戸中期までの鏡が数百枚も発掘されている。。出羽三山の開山は約1,400年前、第32代崇峻天皇の皇子である蜂子皇子が三本足の霊烏に導かれ、羽黒山に登拝し、羽黒権現を獲得、山頂に祠を創建したのが始まりとされている。境内には蜂子皇子墓があり、その一角だけは宮内庁の管理になっていた。霊祭殿(旧地蔵堂)には線香の煙が立っていて、神仏習合の余韻が残る。
山を下りてから表参道入口に廻って、随神門から入り、祓川にかかる赤い神橋を渡って石段の前まで行くと、左に国宝の五重塔が聳えている、平将門の創建と伝えられているが現在の塔は約600年前に再建されたもの。近くには樹齢1,000年、樹の周囲10mの巨杉“爺杉”がある。この日は”かんぽの宿・酒田”に泊まる。


駐車場から入る


境内


鏡池と社殿


三神合祭殿正面


蜂子皇子墓


霊祭殿


表参道の石段を見下ろす


表参道入口


神橋


五重塔

神社歴訪ー108.櫻山神社(東北旅・盛岡)

2013-04-23 07:21:45 | 旅行
 2009年6月の東北旅では最後に盛岡まで足を伸ばして、石川啄木ゆかりの盛岡城址公園に行ったら、園内に神社があった。櫻山神社は南部の殿様を祀る。横の方から境内に入ると、先ず、目についたのが烏帽子岩、盛岡城(不来方城)を築く時に掘り出されたと言う。
 改めて正面の鳥居から入り直す、社殿の前に立てられた幟の字が面白い、「五穀豊穣」「領民安堵」とはお殿様の神社らしい。参拝後、城址に登って行くと石垣が残るだけで建物は全く無い、岩手人の美意識を反映しているのかも。 「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」啄木。


盛岡城址公園入口


横の鳥居


社殿


茅の輪


神門


境内


烏帽子岩


石垣


烏帽子岩を裏から


本丸跡

神社歴訪ー107.馬場都都古和気神社(南東北旅)

2013-04-22 07:55:42 | 旅行
 白河関跡を出て、この旅の最後の訪問先は棚倉町にある馬場都都古和気神社、この神社は陸奥国一宮を称すると言う。現在、陸奥国一宮は鹽竈神社だから、より古い一宮だったのかも知れない。社伝によると、人皇第12代景行天皇の御代、日本武尊が奥羽鎮撫の際に都都古和気神(味耜高彦根命・アヂスキタカヒコネノミコト)を地主神として都々古山(旧福島県西白河郡表郷村:現福島県白河市の通称建鉾山)に鉾を立てたのが始まりとされる。その後、大同2年(807年)坂上田村麻呂が現在の棚倉城址に社殿を造営、日本武尊を相殿に配祀した。さらに寛永2年(1625年)、丹羽長重が棚倉城建築のため現在地に遷座させた。
 境内には高い古木が多くあり、古社の雰囲気十分。入口にあった看板には、「現在放映中の「八重の桜」に出てくる会津藩の家老・西郷頼母が維新の後に、この神社の宮司を3年間務めた。」と書いてあった。ここで旅の目的を達成し、勿来インターから帰宅。


馬場都都古和気神社入口


石段


シャクナゲ


参道


随神門


境内


桜の古木


社殿


拝殿正面


本殿

神社歴訪ー106.白河神社(南東北旅)

2013-04-21 07:32:36 | 旅行
 南湖公園を出て白河関跡へ、関所の跡は残っていないが神社があった。式内社だから古い、由緒にはご祭神は白河国造命とあった。石段は巨木に覆われ古社の雰囲気十分、登ったところに社殿があったが、これは新しそう。社殿の横に古歌碑があった、白河関は古くから多くの歌人の読むところとなっている。石段・社殿の周辺は一面にカタクリの花が咲いている、しかも花の中に入るのを拒むものは何も無い。さすがにここまで来ると俗化していないのが良い、次は棚倉町の古社・馬場都都古和気神社を目指す。


白河関跡


白河神社入口


手水舎


参道


石段


社殿が見えた


境内


古歌碑


社殿


カタクリ

神社歴訪ー105.南湖神社(南東北旅)

2013-04-20 07:42:15 | 旅行
 旅の2日目は桜の名所・船岡城址公園を見てから、白河まで戻り南湖公園へ。湖畔に建つ南湖神社の御祭神は白河藩主・松平定信公(白河楽翁公)、「南湖」を築庭し身分制度の厳しい時代ながら一般庶民にも開放し名君と慕われている。この神社は大正9年神社設立が認可され大正11年6月竣工と新しいが南湖と共に白河の桜の名所になっている。境内の枝垂れ桜(楽翁桜)は、南湖公園築造当時に楽翁公によって植えられたと伝えられ、樹齢200年。
 松平定信は第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たり、少年期の第11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座・将軍輔佐となって、庶民にまで倹約を強要した寛政の改革を断行した。


松平定信の像


南湖神社入口


鳥居


参道左


参道右


授与所


社殿


拝殿正面


楽翁桜


南湖