つばさ

平和な日々が楽しい

汝(なんじ)なんぞ指をみてしかも月をみざると

2012年11月09日 | Weblog
天声人語11/9
 月を指(ゆび)さしているのに、肝心の月を見ないで指ばかり見ている。つまり、目の先のものにかまけて、ことの本質に目が向かない。分かりやすいからか、似た例えは世界にあるようだ。親鸞にも「汝(なんじ)なんぞ指をみてしかも月をみざると」のくだりがある▼高名な宗祖と暴走大臣を並べるのも何だが、田中真紀子文科相をめぐる騒動にも同じことがいえないか。非難の声は高く、野党からは問責決議の声も上がる。だが政争の具にするばかりでは、指の先の月を見ないことになる▼たとえば、大学を新設するプロセスも一般にはわかりにくい。認可が下りる前から建物が造られて、募集のPR活動が行われる。これを奇異に感じる人も多いのではないか▼大学の設置認可制度の手引を文科省が作っている。見ると、「新規参入のハードルは格段に低くなっている」「不認可とされる事例は極めてまれ」といった文言がある。これでは乱立もやむを得なく思われる▼そして今、総定員が進学希望者より多い全入時代である。独自の試験をせずにセンター試験ですませ、中には学力審査がない大学もある。仮に学生の頭数がそろえばいいという了見なら、学ぶ者のための大学か、経営者のための大学か、わからなくなる▼迷惑きわまる真紀子台風だが、暴君キャラをあげつらって終わり、にはしたくない。政治もメディアも、「文教ムラ」の空にかかる月を、一度よく吟味する必要があろう。教育は国の基(もとい)だから、くすんだ月であってはいけない。

「熱海会談」

2012年11月09日 | Weblog
春秋
2012/11/9
 東京五輪のあった1964年は、金融引き締めで景気が冷え込んできた年でもあった。パナソニックが取引する販売会社や代理店も次々に赤字に陥った。会長になっていた松下幸之助氏は実情を聞く場を設ける。会合を開いた場所をとって「熱海会談」と呼ばれている。
▼200人も集めたのに「会談」と社史に残るのは理由がある。一人ひとりと話をしようと臨んだからだ。椅子は人と人の間から後ろの人の顔が見えるよう並べた。最初は2日間の予定だったが3日目に突入。「言われる通りの製品を扱っても、ちょっとももうからん」などの苦言に「経営の神様」は立ち通しで耳を傾けた。
▼そうした一人ひとりと向き合う姿勢をいま問われているのが東京電力だ。社員全員が交代で福島に送り込まれ、原子力発電所の事故で避難している人たちに家財の搬出などの支援をすることになった。抗議や苦情が相次ごうが、しっかり受け止めてもらいたい。それができなければ、いつまでも信頼は失墜したままだろう。
▼熱海会談後、幸之助氏の行動は素早かった。販社同士が競合しないよう担当地域を分け、店に製品が早く届くようにするなど流通を見直した。立ちづめで聞いた不満を改革に生かしたわけだ。東電は3万8千人の社員が福島で生の声を聞くことになる。賠償や除染の進め方の問題点を山ほど集め、改善しなくてはなるまい。