つばさ

平和な日々が楽しい

うちには大きなスナバ(砂場)がありますから

2012年11月04日 | Weblog
筆洗
2012年11月4日
 コーヒーチェーン大手のスターバックスコーヒージャパンが来春、山陰地方で初めて松江市に出店するそうだ。日本でスターバックスの店舗がない県は、鳥取県だけになるという▼テレビ局から感想を求められた鳥取県の平井伸治知事はこう切り返した。「うちには大きなスナバ(砂場)がありますから」。コーヒーチェーンの店舗なんかなくても、誇るべき砂丘があるという絶妙のPRである▼こちらは知事と県民を激怒させる蛮行の連続だ。米軍基地が面積の18%を占める沖縄本島で、酒に酔った二十四歳の米兵が民家に侵入、寝ていた中学生を殴ってけがをさせた。米兵二人の集団強姦(ごうかん)致傷事件からわずか十七日。夜間の外出禁止令も無視だ▼「日米安保条約に基づいて(米兵が)駐留している意味が、県民にはまったく理解できなくなる」。仲井真弘多知事がルース駐日米大使に電話で警告したのは当然だ▼大使や司令官が謝罪し綱紀粛正を何度誓っても、基地の中に沖縄がある状況では、犯罪が繰り返されるのは自明だろう。少なくとも、どんな犯罪でも日本側に身柄が自動的に引き渡されるよう日本政府が地位協定の見直しを働き掛けることが必要だ▼わが国の安全と防衛のためだから沖縄は我慢をしろ-。そんな本土の傲慢(ごうまん)さをはっきりと見抜いている沖縄の人々の間で、「独立論」が広がるのも自然なことだ。

こんなものができたら面白い

2012年11月04日 | Weblog
天声人語11.4
 50年前の全日本自動車ショーで、トヨタはドアのない車を世に問うた。大衆車を2人乗りの未来風スタイルに仕立てた、パブリカスポーツだ。戦闘機のように、屋根ごとずらして乗り降りする仕組みで、2台のみの試作だった▼今はなきこの車を、今年夏、「愚かな車好き」を自称するトヨタOBらが復元した。残る図面や写真を元に、5年がかりで組み上げたそうだ。同好のひいき目を割り引いても、それだけの価値はある▼パブリカスポーツの斬新さは、ショーの話題づくりに終わらず、1965年のトヨタ・スポーツ800に結実する。時代を画した車は好き嫌いが分かれるものだが、愛称「ヨタハチ」を悪く言う人を知らない▼後に80点主義と評される会社にしては珍しく、技術陣が「まじめに遊んだ」一作である。さすがにドアはついたが、優れた空力デザインと軽量が非力を補い、評論家の徳大寺有恒氏によればミズスマシのごとく走った▼以後、国産車は大きく華美になるばかり。小型スポーツカーは定着しなかった。くねる道を人車一体で駆ける楽しさを知らずに、車社会は老いへと向かう。内に成熟市場、外には過当競争。車のみならず日本メーカーをさいなむ虎狼(ころう)である▼名だたる家電ブランドの苦境も、内外の消耗戦の結果だ。抜け出すには、青いが熱かった半世紀前に立ち返るのも手だろう。「こんなものができたら面白い」と。今昔の車好きを夢中にする遊び心こそ、ものづくり再生のカギに思えてならない。

怒は人を服する所以(ゆえん)にあらざればなり

2012年11月04日 | Weblog
春秋
2012/11/4
 あなたに借りた鴎外も読み終えていないのに――さだまさしさんの40年ほども前の失恋の歌「追伸」にこんな一節があった。当世の若者は鴎外の貸し借りなどもうしまい、などと他愛ないことを考えながら、東京都文京区の旧居跡に先日できた森鴎外記念館を訪ねた。
▼節目節目に記した言葉の数々が館内に掲げられている。例えば「汝(なんじ)の血を冷(ひやや)かにせよ、汝の血を冷かにせよ、何(いず)れの場合なるを問はず、怒は人を服する所以(ゆえん)にあらざればなり」とある。陸軍軍医の幹部だった鴎外が東京から小倉への左遷を味わった当時の言だが、怒を自制する大切さ、今日もまったく変わるところはない。
▼「追伸」のころ思春期を送った身の欲目ではなく、ことしが生誕150年の彼がこちらに迫ってくる気がする。「舞台監督の鞭(むち)を背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此(この)役が即(すなわ)ち生だとは考へられない。背後(うしろ)にある或(あ)る物が真の生ではあるまいか」。うべなう方も多いだろう。真の生など結局見つからないにしても。
▼Authority(権威)がなくなった時代には大きな頭のやつが出て来て波動が起こるから、たんすの引き出しに記号をつけて物を整理しておくような「小才」の流儀は用に立たぬ、と断じたのは1909年だった。できれば本何冊か、とも思うが、そうでなくても、当世の若者たちに貸してみたい言葉が次から次に見つかる。