つばさ

平和な日々が楽しい

歴史は、くめども尽きぬ教訓の泉だ

2012年11月19日 | Weblog

余録毎日新聞 2012年11月19日

 東京の書店で「東京満蒙開拓団」(ゆまに書房)が平積みしてあるのを見かけた。9月の刊行前に小紙は東京紙面で紹介している。朝日新聞と読売新聞も10月末の書評欄で高く評価した▲旧満州(現中国東北部)への移民である満蒙開拓団は東京に集まる生活困窮者の送り出しから始まった。商店街ぐるみで海を渡りソ連参戦後の逃避行中に多数が惨死した例もある。戦争末期には東京大空襲の被災者たちが「疎開」のための移民を勧められた▲こんな今やほとんど知られていない史実を市民グループが追跡し、国家による「棄民(きみん)」を告発している。5年がかりの努力が実を結んだ▲もちろん首都がらみの歴史ばかりが重要なのではない。全国最多の開拓団員などを送り出した長野県の飯田・下伊那地方。10年余り前に結成された「満蒙開拓を語りつぐ会」の聞き書き報告集は実に痛ましい▲今年7月に出た第10集(飯田市歴史研究所発行)だけ読んでも、逃避行の際などに大家族の大半を失い、中国残留孤児として、次は中国人の妻として生きるしかなかった女性をはじめ、あまりに過酷な体験の数々が語られている。国策による先住民からの農地獲得など加害の側面に関する率直な証言もある▲このように満蒙開拓団の悲劇を記録し忘れまいとする努力は今もあちこちで続いている。歴史は、くめども尽きぬ教訓の泉だ。関係者に敬意を表したい。同時に、過去とは違う形態であれ国家が国民の一部を「見捨てる」事態が繰り返されはしないか、いやそれは現に起きていることではないか、という疑念を禁じ得ない。改めて国家と政治の責務を思う。

留守電に元気な頃の母の声「あれ?居らんがな」消せずに五年

2012年11月19日 | Weblog
【産経抄】11月19日
 向田邦子さんは、最も早く留守番電話を取り付けた作家の一人だった。初めのころは、慣れない人が残した個性的なメッセージを大いに楽しんだという。なかでも傑作なのが、親友の黒柳徹子さんからの電話だ。
 ▼例の早口で9通話分もしゃべりまくったあげく、「用件はあとでじかに話すわね」となる。向田さんは、来客にこのテープを聞かせて、もてなしのひとつにしていた(『父の詫び状』)。
 ▼〈留守電に元気な頃の母の声「あれ?居らんがな」消せずに五年〉。先日発表のあった第1回「河野裕子短歌賞」の「家族の歌」部門で、「選者賞」に選ばれた作品だ。5年前に亡くなった母親のテープを残したのは、もちろん人に聞かせるためではない。家族にとって何よりの宝物だからだ。
 ▼〈寄港する夫に届ける子の写真ばんそうこうの訳を書き足す〉。最優秀に輝いた、下町あきらさん(71)の作品である。半年も帰らない船員の夫に、手紙や写真で子供の成長ぶりを伝えていたころの思い出だろう。審査員の一人、河野さんの夫で歌人の永田和宏さんは、「『書く』のではなく、『書き足す』の『足す』がいいフレーズだ」と評していた。
 ▼手紙といえば、河野さんも筆まめな人だった。恋人時代の永田さんへの手紙には、永田さんになぞらえた、みの虫のイラストが描かれていたそうだ。アメリカ滞在中は、サマーキャンプに行った2人の子供に毎日書いていた。
 ▼河野さんが平成22年8月に亡くなる直前、自宅で作った歌は200首近くにのぼる。手帳やティッシュの箱、薬袋などに書き残された文字の判読は、困難を極めた。それでもわかってくれるはず、と信じた家族への究極の手紙でもあった。

震災を経て、一段とむずかしい問題を地域が背負っている。

2012年11月19日 | Weblog
春秋
2012/11/19
 日の丸の小旗を打ち振る人々がホームを埋めつくしていた。鼓笛隊のマーチ。風船。駅前には1万の群衆。そして「焦茶(こげちゃ)色に日焼けし海風に鍛え抜かれたおばさんたち」が喜々として踊りを披露する――。紀行作家の宮脇俊三が、その日の情景を生き生きと描いている。
▼1977年、宮城県の気仙沼線が開通したときのルポだ。国鉄全線を乗りつぶす「時刻表2万キロ」の旅を終えた著者は新たな路線の誕生に駆けつけ、最終章に置いた。その気仙沼線はいま、大部分が津波で不通となり、復旧の見通しが立っていない。そこで登場してきたのが、BRTと呼ばれるバス高速輸送システムだ。
▼被災した鉄路を専用道に造り替え、そこにバスを走らせる。まだ専用道はわずかな区間しかできていないが、試みに乗ってみれば停留所も真新しくなかなか快適ではある。バスはバスでも、かすかに鉄道の雰囲気が漂うのは「線路の上」だからか。JR東日本はこれをほかの被災路線でも代替交通として推進したいという。
▼けれども、あくまで鉄道の復旧を求める沿線自治体もある。BRTの固定化は困るという声もある。35年前の熱狂が示す、鉄道への抜きがたい思いかもしれない。かの宮脇は、開通の日の騒ぎと赤字必至の現実とを見据えて「むずかしい問題ばかりだ」と記した。震災を経て、一段とむずかしい問題を地域が背負っている。