つばさ

平和な日々が楽しい

「情熱の歌人」没後70年

2012年11月14日 | Weblog
照明灯11/14
 ロシアのモスクワ-ウラジオストク間を結ぶ世界最長の鉄道、シベリア鉄道がアジアや欧州の企業から注目されている。ソ連崩壊後の混乱や施設の老朽化により貨物輸送が減ったが、整備が進み、物流の大動脈として復活しつ火つある
 
 ▼ちょうど100年前、北の大地を走るこの鉄道を利用し、極東からパリまで一人旅をした日本人女性がいた。歌人の与謝野晶子である。当時33歳、7人の子を日本に残しての旅だった
 
 ▼川に沿って走る列車から見た車窓風景を「箱根の山を西へ出た處(ところ)のやうな気がする。雪が降って来た」と書いている。追加運賃を要求され、財布の中身が寂しくなるなどの困難を乗り越え、夫の寛(鉄幹)の待つパリにたどり着く。その喜びをヒナゲシ(コクリコ)の花にたとえて詠んだ。ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
 
 ▼歌人として生涯で5万余首を作り、社会評論家としても活躍した。13人の子を産み、夫に代わって家計を支えた。晶子と小紙の前身に当たる横浜貿易新報は浅からぬ縁がある。大正から昭和にかけての20年間に800編前後を寄稿し、女性解放論などを展開した
 
 ▼ことしは晶子の没後70年である。「情熱の歌人」の燃えるような生涯は、今なお光彩を放ち続けている。

「ベンガル人の国」

2012年11月14日 | Weblog
春秋
2012/11/14
 2つの国の国歌を作詞・作曲した人がいる。1913年にアジア人として初めてノーベル賞を受賞したタゴールだ。インドとバングラデシュ。いずれの国も、タゴールが生前に作っていた歌を独立後に国歌とした。ともにタゴールの母語、ベンガル語で書かれている。
▼ヒンディー語を話す人が最も多いインドでベンガル語の歌が国歌になったのは、不思議な気もする。タゴールの偉大さというべきか、多様性にあふれたインドという国の懐の深さの表れというべきか。一方のバングラデシュでは、ベンガル語を話す人が圧倒的に多い。そもそも国名も「ベンガル人の国」といった意味だ。
▼この国はかつて、パキスタンの一部だった。「東パキスタン」と呼ばれていた地域が71年に分離・独立して、国になった。独立運動の最大のエネルギーとなったのは、パキスタン政府の中央集権的な言語政策に抗してベンガル語を守ろうとした、人びとの思いだ。ベンガル語の国歌を持つために生まれた国ともいえよう。
▼日本が国交を結んだのは翌72年の2月。今年でちょうど40周年を迎えた。きのう、造幣局はバングラデシュの貨幣5億枚の製造を受注したと発表した。国際入札の結果だそうだが、両国の関係が深まっていることを示すできごとだろう。戦前の日本の軍国主義を厳しく批判したタゴールも、笑顔でみているかもしれない。