照明灯11/14
ロシアのモスクワ-ウラジオストク間を結ぶ世界最長の鉄道、シベリア鉄道がアジアや欧州の企業から注目されている。ソ連崩壊後の混乱や施設の老朽化により貨物輸送が減ったが、整備が進み、物流の大動脈として復活しつ火つある
▼ちょうど100年前、北の大地を走るこの鉄道を利用し、極東からパリまで一人旅をした日本人女性がいた。歌人の与謝野晶子である。当時33歳、7人の子を日本に残しての旅だった
▼川に沿って走る列車から見た車窓風景を「箱根の山を西へ出た處(ところ)のやうな気がする。雪が降って来た」と書いている。追加運賃を要求され、財布の中身が寂しくなるなどの困難を乗り越え、夫の寛(鉄幹)の待つパリにたどり着く。その喜びをヒナゲシ(コクリコ)の花にたとえて詠んだ。ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
▼歌人として生涯で5万余首を作り、社会評論家としても活躍した。13人の子を産み、夫に代わって家計を支えた。晶子と小紙の前身に当たる横浜貿易新報は浅からぬ縁がある。大正から昭和にかけての20年間に800編前後を寄稿し、女性解放論などを展開した
▼ことしは晶子の没後70年である。「情熱の歌人」の燃えるような生涯は、今なお光彩を放ち続けている。
ロシアのモスクワ-ウラジオストク間を結ぶ世界最長の鉄道、シベリア鉄道がアジアや欧州の企業から注目されている。ソ連崩壊後の混乱や施設の老朽化により貨物輸送が減ったが、整備が進み、物流の大動脈として復活しつ火つある
▼ちょうど100年前、北の大地を走るこの鉄道を利用し、極東からパリまで一人旅をした日本人女性がいた。歌人の与謝野晶子である。当時33歳、7人の子を日本に残しての旅だった
▼川に沿って走る列車から見た車窓風景を「箱根の山を西へ出た處(ところ)のやうな気がする。雪が降って来た」と書いている。追加運賃を要求され、財布の中身が寂しくなるなどの困難を乗り越え、夫の寛(鉄幹)の待つパリにたどり着く。その喜びをヒナゲシ(コクリコ)の花にたとえて詠んだ。ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
▼歌人として生涯で5万余首を作り、社会評論家としても活躍した。13人の子を産み、夫に代わって家計を支えた。晶子と小紙の前身に当たる横浜貿易新報は浅からぬ縁がある。大正から昭和にかけての20年間に800編前後を寄稿し、女性解放論などを展開した
▼ことしは晶子の没後70年である。「情熱の歌人」の燃えるような生涯は、今なお光彩を放ち続けている。