つばさ

平和な日々が楽しい

日本のお母さん

2012年11月16日 | Weblog
【産経抄】11月16日
 92年の生涯を終えた女優の森光子さんは戦時中、満州から南方の島々まで慰問の旅を続けている。中国の南京では病に倒れ、現地で出会った海軍士官の親切に救われた。内地に戻り名古屋の舞台に出ていると、突然楽屋に現れて食事をごちそうしてくれたこともある。
 ▼士官はその後京都の自宅にも立ち寄ったが、地方巡業中の森さんとの再会はかなわなかった。士官は実は、日中戦争で日本との和平への道を探った中国の政治家、汪兆銘の護衛官だった。戦後、戦犯として処刑されたとも、自殺したとも伝えられる。
 ▼森さんのライフワークといえば、誰もが舞台「放浪記」を挙げる。女流作家、林芙美子の生涯を半世紀近く、2017回も演じ続けた。もしいつか、森さんがモデルとなった新たな「放浪記」が上演されるとしたら、悲劇に終わった初恋に触れないわけにはいかないだろう。
 ▼京都生まれの森さんには、昭和天皇が京都御所で挙げられた、即位の御大典の記憶が残る。戦後すぐには、好奇心のおもむくまま、マッカーサー元帥の顔を見に行き、60年安保のときは国会前にいた。テレビ草創期の熱気にも触れている。
 ▼両親を早くに失い、病魔にも次々と襲われた。長い下積み生活や2度の離婚も経験している。そうした波瀾(はらん)万丈の人生と相まって、「新放浪記」は昭和という時代そのものを描く作品になりそうだ。
 ▼ドラマの役柄から、「お母さん女優」とも呼ばれた。実際、かわいがっていたジャニーズ事務所のアイドルはじめ、芸能界の後輩たちや、長く支援してきた交通遺児ら、多くの「子供」たちに恵まれた。「新放浪記」のラストシーンはもちろん、「日本のお母さん」の大往生である。

飽きないでください

2012年11月16日 | Weblog
春秋
2012/11/16
 歌手の松任谷由実さんが尋ねた。「(私は)こんなにステージをやってきて、お客さんも喜んでくれているけど、この先に何があるんですか」。森光子さんが答える。「飽きないでください。それだけでいいです」。松任谷さんの対談集「才輝礼賛」にそうあった。
▼「放浪記」の主人公、林芙美子を41歳から演じること2017回、とさらりと書いてしまうのも憚(はばか)られる。48年間、後年は短くなったとはいえ、しばらくは5時間半の舞台。代名詞にもなったでんぐり返しは3回続けてやっていた。役に恵まれなかった前半生から一転、遅咲きの輝きは日々新面目(しんめんもく)あったればこそだろう。
▼それでも、「リコピーのお光」とあだ名されるほどせりふ覚えがよかったから、ときに魔が差した。著書「人生はロングラン」では、税金のことを考えながら演じていたことがある、と白状し、ちゃんと芝居をしていたと知ってよけい怖くなった、と述懐している。「飽きないでください」は何より自らへの戒めだった。
▼酒は強くなく、晩年は「私、2センチください」とワインを頼むのがつねだったそうだ。気取らない森さんのこと、席の楽しさが目に浮かぶようである。松任谷さんは34歳上の先輩の言葉に「ズッシリ受け止めました」と応じた。飽きないでください。こちらもその難しさをかみしめつつ、大女優をしのんでワイン2センチ―。