奈良、時々京都(写真館)

奈良、京都好きの写真ブログです。(たまには大阪も)

高雄から清滝へ(最終回)

2006年11月30日 | 高雄から清滝へ

神護寺からバスで帰るなら、高雄橋を渡り国道まで上りますが、今回は清滝まで川沿いのハイキングコースを歩くことにしました。 写真は清滝方面から高雄方面を振り返ったところ。


高雄から清滝までは錦雲渓(きんうんけい)と呼ばれています。 


途中、紅葉の素晴らしいところが何ヶ所もありましたが、全て掲載するときりがありません。


高雄橋から約50分で清滝の金鈴橋に着きました。


金鈴橋から見た清滝川。 
ここから保津峡までは金鈴渓(きんれいけい)と呼ばれています。


渡猿橋が見えてきました。 4月に訪れて以来、渡猿橋を見るのは今年2回目になりました。


渡猿橋から坂道を少し上がったところに京都バスの清滝バス停があります。 歩いて嵐山まで帰ろうと思いましたが、遅くなるとブログの記事を書くのがしんどくなるので、バスで帰ることにしました。

「高雄から清滝へ」これで終わります。

高雄山神護寺(3)

2006年11月29日 | 高雄から清滝へ

大師堂から石段を上り金堂へ向かいます。


金堂。
昭和9年再建の新しい建物です。 本尊は木造薬師如来立像。 ぜひ見ておきたい仏像です。 仏像や空海直筆の灌頂歴名などはシーズンをはずしたほうがゆっくり見て廻れます。


多宝塔。 金堂からさらに石段を上がったところに建っています。 建立は金堂と同じく昭和9年。 内部に木造五大虚空蔵菩薩が安置されています。(閉まっていて見れません。)


境内の少し離れたところに地蔵院があります。


地蔵院の前に庭園があり、苔のじゅうたんの上に紅葉が落ちて美しい紋様をなしていました。


庭園のすぐそばは深い谷になっていて、厄除けに谷に向けて素焼きのかわらけ(一組100円)を投げる風習があります。

高雄山神護寺(2)

2006年11月28日 | 高雄から清滝へ

宝蔵(白壁の蔵です)の前のモミジがひときわ赤く紅葉していました。


神護寺は三尾の中では一番大きな寺で、境内には多くの建造物があります。 今回は紅葉見物が目的なので、紅葉をメインに撮影しました。 写真の中央に見えるのは鐘楼。


和気清麻呂公霊廟。
神護寺は和気清麻呂が建てた「高尾山寺」にはじまります。


明王堂。
食事が済むのを待っていたら先へ進めませんので、このまま撮影しました。 後日ある場所で三脚を据えていた人の話では、いい写真を撮ろうと思えば、一枚の写真を撮るのに30分や1時間待つことはざらにあるとの事でした。


(左)五大堂                             (右)毘沙門堂


大師堂(国重文/桃山時代)。
神護寺は災害や兵火のためほとんどの堂塔を焼失しました。 大師堂はこの寺最古の建物です。


高雄山神護寺(1)

2006年11月27日 | 高雄から清滝へ

清滝川沿いに歩いていくと、道の両側に旅館や飲食店が立ち並ぶ一角に入りました。 もみじの天婦羅の看板も見えます。 どうやらもみじの天婦羅は大阪の箕面だけではないようです。


やがて清滝川に架かる赤い橋が見えてきました。 高雄橋です。 三尾の中では高雄が一番有名なので人も多いです。 橋を渡り、参道を登ります。


参道の途中には二軒の茶店がありました。 写真の店は高雄茶屋。 もう一軒の硯石亭という店はここのすぐ上です。


硯石
空海は三筆の一人で、書の名手として知られていますが、 この硯石はその伝説のひとつです。 あまりにありえそうに無い話なので、立て札の内容は省略します。


ようやく楼門にたどり着きました。 大勢の人でごった返しています。 話し声の中には中国語も混ざっていました。


楼門をくぐり境内に入ります。 神護寺には八年ぶり2回目の訪問になりました。



槙尾山西明寺(2)

2006年11月26日 | 高雄から清滝へ

本堂右の渡廊下。 
この下をくぐって庭園の裏に廻ることが出来ます。


鐘楼と境内。 
このあと左のバスガイドさんの前まで団体さんが押し寄せてきました。


客殿。
本堂とは渡廊下でつながっています。 中に茶卓がならべてあって、休憩できるようになっていました。


真っ赤な紅葉もすばらしいですが、こんなまだらになった紅葉も趣があります。(背景は本堂)


最後に、もう一度境内を振り返って、西明寺を出ました。(右後ろは鐘楼)


裏の受付を出て坂道を下り、清滝川に架かる橋を渡って、高尾山神護寺へ向かいます。

槙尾山西明寺(1)

2006年11月25日 | 高雄から清滝へ

バス通りから右に曲がり、道を下ると朱塗りの指月橋に着きます。 橋の前の石柱は槙尾山聖天堂と読むのでしょうか。 聖天堂が何を指すのか西明寺の案内書を見てもわかりませんでした。


橋の上から清滝川の河原を見下ろしたところ。 槙尾は三尾の中でも一番紅葉がきれいだったように思います。 たくさん写真を撮ったので、どれを掲載しようか迷うほどです。


橋を渡ったところで、もう一枚。


石段を上がり、表門の前まで来ました。 受付でもらった案内書によると本堂と同じ元禄十三年(1700)の造営だそうです。


西明寺は、平安時代に弘法大師の高弟智泉大徳によって創建されたと伝えられています。 現在の本堂は元禄十三年(1700)に五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寄進によって再建されました。


本堂の本尊は木造釈迦如来立像。 しかし人が多くてゆっくり拝むことが出来ませんでした。  本堂の中からきれいな庭園が見えました。

栂尾山高山寺(2)

2006年11月24日 | 高雄から清滝へ

石水院から先に開山堂があります。 堂内には木造明恵上人坐像が安置されています。 高山寺は三尾(栂尾、槙尾、高雄)の一番奥に位置しています。 時間が早かったためか、静かな散策を楽しめました。


開山堂の横に立つ聖観音菩薩


開山堂から石段を上がると明恵上人の御廟があります。


さらに奥へ進むと、木立の中に金堂が見えてきました。 高山寺には神護寺のような大伽藍はありません。


金堂の前から表参道が真っ直ぐに伸びています。 写真は表参道を降りて振り返ったところです。


高山寺を出て清滝川に架かる白雲橋を渡り、槙尾山西明寺へ向かいます。

栂尾山高山寺(1)(高雄から清滝へ)

2006年11月23日 | 高雄から清滝へ
紅葉狩りに京都の高雄へ行ってきました。 天気予報はあいにくの雨のち曇り。 雨だったら近くの東福寺、曇りだったら遠出して高雄まで足を伸ばそうと思っていましたが、幸いにも雨は降りませんでした。


紅葉シーズンの祝日とあって、京都駅からJRバスが栂尾(とがのお)まで臨時直通バスを出していました。 満員バスに立詰で乗ること45分。 少し気分が悪くなりながらもようやく終点の栂尾に着きました。 


駐車場のあたりは紅葉まっさかり。 気持ちが高まります。


栂尾山高山寺へはバスを降りてすぐ後ろの、裏参道から上ります。


参道を上ると、すぐ右手に石水院の壁が見えてきます。


石水院の門
石水院は高山寺の開基明恵上人の住房。 現在の建物は明治21年に金堂の東側にあった経蔵を移してその名を継いだものです。


日本最古の茶園
鎌倉時代栄西禅師が、中国の宋から持ち帰った種を明恵上人に贈り、 上人はこれを京都栂ノ尾に植えたと伝えられています。

長谷寺(初瀬街道 終わり)

2006年11月16日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

仁王門は平安時代、一条天皇の御代に初めて建立されました。 現在の門は明治18年の再建で、上に掲げる額は後陽成天皇の御宸筆です。


仁王門から登廊(のぼりろう)が上の本堂まで続きます。 


登廊を上がると広場になっていて左手に本堂が建っています。 現在の本堂は慶安3年(1650)の建立で、2004年12月に国宝に指定されています。


中に入ると見上げるような高さの本尊十一面観世音菩薩が立っていました。 数年前に初めて訪れたときは、その大きさに圧倒されるようでした。


本堂の前は舞台造になっていて、谷を隔てた西側に五重塔が見えます。


モミジの紅葉はまだまだでした。

初瀬街道(桜井から長谷寺へ)これで終わります。

長谷寺参道

2006年11月15日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

国道に別れを告げ、いよいよ長谷寺の参道に入ります。


午後1時を廻り、おなかがすいてきたので食事処を探して歩いていると、長谷路という庭園のきれいなお店がありました。 落ち着いた和室でにゅう麺をいただきました。 柿の葉寿司が美味しかったです。


参道を先へ進みます。


長谷寺前駐車場の右手前に西国33ヶ所番外札所の法起院(ほっきいん)があったので訪れてみました。


法起院本堂
門前に立っていた由緒書によれば、開基徳道上人は西国33ヶ所巡りの元祖だそうです。 又、当院は長谷寺の塔頭であり、開山堂でもあります。


駐車場の角を曲がると土産物屋の先に長谷寺の石段が見えてきました。


十二柱神社

2006年11月14日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

右手の山腹を近鉄特急が走ります。 やがて旧街道への分岐が現れました。


旧街道をしばらく歩くと左の脇道に地図にも載っていない小さなお寺(瑞雲山地福寺)がありました。 石仏がたくさん見えたので、ちょっと寄道しました。 地蔵菩薩や明王の魅力のある石仏たちでしたが、それぞれをアップするといつまで経っても長谷寺にたどり着きませんので、つぎへ進みます。


初瀬街道へ戻る途中、東に細い路地があり、そこから次の目的地「十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)」に行けました。右の写真は、鳥居の右の狛犬の足下を拡大したものです。 四隅を力士が支えています。 十二柱神社のある桜井市出雲は当麻蹶速(たいまのけはや)を倒した野見宿禰(のみのすくね)の生誕伝承地になっています。


十二柱神社拝殿
祭神は神代七代(かみよのななよ)の神と地神五代の神。 後ろに赤い本殿がずらりと並んでいるのが見えます。


敷地の右側に武列天皇の社が建っていました。 日本書紀による武列天皇の皇居のあったのはこの付近といわれています。


十二柱神社を後にし、国道を横断した後、再び国道にもどると道路標識に長谷寺駅の文字が見えました。

白山神社

2006年11月13日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

再び国道165号(左)を横断して初瀬街道(右)に戻ります。


白山神社の案内板(左)が見えてきました。 実はこの案内板から少し先に参道(右)があるのですが、間違ってすぐ横の細い路地を左折してしまい、国道を歩くはめになりました。 もう少しわかりやすい案内板にして欲しいものです。


参道と白山神社の間を国道が横切っています。 ここは雄略天皇の泊瀬朝倉宮の伝承地になっています。


(左)拝殿 (右)境内に雄略天皇の万葉歌碑がありました。 万葉集の巻頭を飾る超有名な歌です。

「籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは告(の)らめ 家をも名をも」


旧街道に戻り東へ歩くと、国道と合流します。


国道沿いにあったお地蔵さん。

玉列神社(たまつらじんじゃ)

2006年11月12日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

玉列神社の参道


拝殿
玉列神社の由緒書きによりますと、「ご祭神玉列王子神は、御本社三輪の大物主大神の御子神で延喜式神名帳にも見える初瀬谷に於ける最古の神社であります。 昔から玉椿大明神として地元氏子区民は勿論遠く京阪神、東海地方に至るまで厚い信仰を集め、特に金色のお砂は招福のしるしとして尊ばれています」


拝殿に飾られていた菊


拝殿前の誕生石(たんじょうさん)
ふるくから「誕生さん」と親しみを持って呼ばれ、ご祭神玉列王子命(たまつらおうじのみこと)に因(ちな)んで子宝石としてふるくから信仰を集めています。 また初宮詣の折には、この石の周囲を廻りながら「ヘイチョウ カイチョウ・・・」と三度唱えれば元気で健やかな子に育つと云われています。


玉列神社の前の道標。 古文書がすらすらと読めたら楽しいのですが、難しいです。
左 ○○いせ道
右 かく山(香具山?)○○寺(?)道


玉列神社から次の目的地「白山神社」へ向かいます。

阿弥陀堂のケヤキ

2006年11月11日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

宇陀ヶ辻を左折します。 近鉄の高架をくぐり、すぐに右折して近鉄沿いに歩きます。


初瀬川(大和川)に架かる橋を渡ります。 前方に見えているのは近鉄大和朝倉駅です。


旧道から国道165号を横断し、北に向かいます。


突き当りを左折すると、最初の目的地「玉列神社(たまつらじんじゃ)」の看板が見えてきました。 看板を右折すると玉列神社の入り口が見えてきます。


先に玉列神社の東隣にある慈恩寺の阿弥陀堂を訪れました。 


丸太で支えている木は樹齢800年のケヤキで、奈良県の保護樹木に指定されています。


玉列神社の一帯は椿の木が多く、玉椿大明神とも言われ、毎年3月にはつばき祭が開かれています。

初瀬街道(桜井から長谷寺へ1)

2006年11月10日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

11月10日に初瀬(はせ)街道を桜井から長谷寺まで行ってきました。 この道は伊勢へ向かうところから伊勢街道とも呼ばれています。


桜井駅の南口からアーケードのある商店街を東へ向かいます。 最初間違って桜井1番街に入ってしまいましたが、途中で一本南側の本町通商店街に合流しました。


桜井からは多くの古道が分かれています。


商店街を抜け、栗原川にかかる跡見橋を渡ります。 橋の手前には、昔懐かしい赤い郵便ポストが立っていました。


橋のたもとに立つ庚申塔。


しばらく栗原川沿いに歩きます。 前方には三角錐の形をした朝倉富士(あさくらふじ)と呼ばれる外鎌山が見えます。


やがて国道165号線の交差点に出ます。 ここは宇陀ヶ辻と呼ばれて、ここから忍坂道と初瀬街道に分かれます。