奈良、時々京都(写真館)

奈良、京都好きの写真ブログです。(たまには大阪も)

長谷寺(初瀬街道 終わり)

2006年11月16日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

仁王門は平安時代、一条天皇の御代に初めて建立されました。 現在の門は明治18年の再建で、上に掲げる額は後陽成天皇の御宸筆です。


仁王門から登廊(のぼりろう)が上の本堂まで続きます。 


登廊を上がると広場になっていて左手に本堂が建っています。 現在の本堂は慶安3年(1650)の建立で、2004年12月に国宝に指定されています。


中に入ると見上げるような高さの本尊十一面観世音菩薩が立っていました。 数年前に初めて訪れたときは、その大きさに圧倒されるようでした。


本堂の前は舞台造になっていて、谷を隔てた西側に五重塔が見えます。


モミジの紅葉はまだまだでした。

初瀬街道(桜井から長谷寺へ)これで終わります。

長谷寺参道

2006年11月15日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

国道に別れを告げ、いよいよ長谷寺の参道に入ります。


午後1時を廻り、おなかがすいてきたので食事処を探して歩いていると、長谷路という庭園のきれいなお店がありました。 落ち着いた和室でにゅう麺をいただきました。 柿の葉寿司が美味しかったです。


参道を先へ進みます。


長谷寺前駐車場の右手前に西国33ヶ所番外札所の法起院(ほっきいん)があったので訪れてみました。


法起院本堂
門前に立っていた由緒書によれば、開基徳道上人は西国33ヶ所巡りの元祖だそうです。 又、当院は長谷寺の塔頭であり、開山堂でもあります。


駐車場の角を曲がると土産物屋の先に長谷寺の石段が見えてきました。


十二柱神社

2006年11月14日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

右手の山腹を近鉄特急が走ります。 やがて旧街道への分岐が現れました。


旧街道をしばらく歩くと左の脇道に地図にも載っていない小さなお寺(瑞雲山地福寺)がありました。 石仏がたくさん見えたので、ちょっと寄道しました。 地蔵菩薩や明王の魅力のある石仏たちでしたが、それぞれをアップするといつまで経っても長谷寺にたどり着きませんので、つぎへ進みます。


初瀬街道へ戻る途中、東に細い路地があり、そこから次の目的地「十二柱神社(じゅうにはしらじんじゃ)」に行けました。右の写真は、鳥居の右の狛犬の足下を拡大したものです。 四隅を力士が支えています。 十二柱神社のある桜井市出雲は当麻蹶速(たいまのけはや)を倒した野見宿禰(のみのすくね)の生誕伝承地になっています。


十二柱神社拝殿
祭神は神代七代(かみよのななよ)の神と地神五代の神。 後ろに赤い本殿がずらりと並んでいるのが見えます。


敷地の右側に武列天皇の社が建っていました。 日本書紀による武列天皇の皇居のあったのはこの付近といわれています。


十二柱神社を後にし、国道を横断した後、再び国道にもどると道路標識に長谷寺駅の文字が見えました。

白山神社

2006年11月13日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

再び国道165号(左)を横断して初瀬街道(右)に戻ります。


白山神社の案内板(左)が見えてきました。 実はこの案内板から少し先に参道(右)があるのですが、間違ってすぐ横の細い路地を左折してしまい、国道を歩くはめになりました。 もう少しわかりやすい案内板にして欲しいものです。


参道と白山神社の間を国道が横切っています。 ここは雄略天皇の泊瀬朝倉宮の伝承地になっています。


(左)拝殿 (右)境内に雄略天皇の万葉歌碑がありました。 万葉集の巻頭を飾る超有名な歌です。

「籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この丘に 菜摘ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われこそは告(の)らめ 家をも名をも」


旧街道に戻り東へ歩くと、国道と合流します。


国道沿いにあったお地蔵さん。

玉列神社(たまつらじんじゃ)

2006年11月12日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

玉列神社の参道


拝殿
玉列神社の由緒書きによりますと、「ご祭神玉列王子神は、御本社三輪の大物主大神の御子神で延喜式神名帳にも見える初瀬谷に於ける最古の神社であります。 昔から玉椿大明神として地元氏子区民は勿論遠く京阪神、東海地方に至るまで厚い信仰を集め、特に金色のお砂は招福のしるしとして尊ばれています」


拝殿に飾られていた菊


拝殿前の誕生石(たんじょうさん)
ふるくから「誕生さん」と親しみを持って呼ばれ、ご祭神玉列王子命(たまつらおうじのみこと)に因(ちな)んで子宝石としてふるくから信仰を集めています。 また初宮詣の折には、この石の周囲を廻りながら「ヘイチョウ カイチョウ・・・」と三度唱えれば元気で健やかな子に育つと云われています。


玉列神社の前の道標。 古文書がすらすらと読めたら楽しいのですが、難しいです。
左 ○○いせ道
右 かく山(香具山?)○○寺(?)道


玉列神社から次の目的地「白山神社」へ向かいます。

阿弥陀堂のケヤキ

2006年11月11日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

宇陀ヶ辻を左折します。 近鉄の高架をくぐり、すぐに右折して近鉄沿いに歩きます。


初瀬川(大和川)に架かる橋を渡ります。 前方に見えているのは近鉄大和朝倉駅です。


旧道から国道165号を横断し、北に向かいます。


突き当りを左折すると、最初の目的地「玉列神社(たまつらじんじゃ)」の看板が見えてきました。 看板を右折すると玉列神社の入り口が見えてきます。


先に玉列神社の東隣にある慈恩寺の阿弥陀堂を訪れました。 


丸太で支えている木は樹齢800年のケヤキで、奈良県の保護樹木に指定されています。


玉列神社の一帯は椿の木が多く、玉椿大明神とも言われ、毎年3月にはつばき祭が開かれています。

初瀬街道(桜井から長谷寺へ1)

2006年11月10日 | 初瀬街道(桜井から長谷寺へ)

11月10日に初瀬(はせ)街道を桜井から長谷寺まで行ってきました。 この道は伊勢へ向かうところから伊勢街道とも呼ばれています。


桜井駅の南口からアーケードのある商店街を東へ向かいます。 最初間違って桜井1番街に入ってしまいましたが、途中で一本南側の本町通商店街に合流しました。


桜井からは多くの古道が分かれています。


商店街を抜け、栗原川にかかる跡見橋を渡ります。 橋の手前には、昔懐かしい赤い郵便ポストが立っていました。


橋のたもとに立つ庚申塔。


しばらく栗原川沿いに歩きます。 前方には三角錐の形をした朝倉富士(あさくらふじ)と呼ばれる外鎌山が見えます。


やがて国道165号線の交差点に出ます。 ここは宇陀ヶ辻と呼ばれて、ここから忍坂道と初瀬街道に分かれます。