奈良、時々京都(写真館)

奈良、京都好きの写真ブログです。(たまには大阪も)

JR三輪駅

2006年08月30日 | 奈良
JR三輪駅の駅舎は西側しかありません。
大神神社へ行くには、商店街を回って北側の踏切を渡ります。
下の写真と逆に踏切から三輪駅を見たところです。

千手堂交差点を通って苅萱堂(高野山25)

2006年08月22日 | 高野山

東の門から金剛峰寺をでます。
メインストリートに出て東へ歩くと、高野山の中心部、バス停「千手院」の交差点に出ます。 角の建物は中央案内所です。


道はやがて寺ばかりになってきます。 一院ずつ撮影していましたが、まだ奥の院もあるので、途中でやめました。 ひとつだけあげれば、見どころのひとつとなっている苅萱堂(かるかやどう)です。 親子の名乗りをあげないまま修行に明け暮れたという苅萱道心と石童丸の悲しい物語ゆかりのお堂だそうです。

 

真言宗総本山金剛峰寺(高野山24)

2006年08月21日 | 日記

六時の鐘の東側に広い駐車場があり、その前が真言宗総本山金剛峰寺の参道になっています。 ゆるやかな石段を上り、表門をくぐると檜皮葺(ひわだぶき)の重厚な建物が見えてきます。 


金剛峰寺大主殿(だいしゅでん)です。 金剛峰寺は、もとは高野山一山の総称でしたが、豊臣秀吉が亡母の菩提供養のために建立した青厳寺(せいがんじ)を明治2年に金剛峰寺と改称したものです。 右のほうに受付があり、中へ入れます。 今回は建物の中へは入らなかったのですが、前に来たときは大広間でお茶をいただきながら法話を聞いた覚えがあります。


六時の鐘(高野山23)

2006年08月20日 | 高野山

壇上伽藍の見学を終えて、金剛峰寺へ向かいます。 この道は植木で両側を凹凸をつけているところから、蛇腹道というそうです。


蛇腹道を出たところに六時の鐘(ろくじのかね)があります。建物の入り口に手書きの説明板がありました。

元和四年(1618)二月六日福島正則候が亡母の菩提のために建立したこの鐘は
時刻を告げるためのものである。

「和歌山県の歴史散歩」によるともう少し詳しく、福島正則が造った鐘が焼失したので、その子正利(まさとし)が寛永十二年(1635)に改鋳したもので、明け六つ(午前6時)から2時間おきに時刻を報じるそうです。



東塔(高野山22)

2006年08月19日 | 高野山
国史跡 東塔 指定 昭和52年7月14日

白河法皇の御願により大治(だいじ)二年(1127)に落慶した。 中尊は尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)で脇仏は不動と降三世(ごうざんぜ)両明王である。 江戸時代の再建の塔が、天保十四年(1843)に焼失後、140年を経て昭和58年に現在の塔が再建された。
(説明板より)


愛染堂(高野山20)

2006年08月17日 | 高野山
国史跡愛染堂 指定昭和52年7月14日
後醍醐天皇の御願により建武元年(1334)に建立された。 愛染明王護摩と長日護摩を行うところである。現在の堂は文化13年(1816)の再建である。
(説明板より)

猿沢の池(なら燈花会)

2006年08月16日 | 奈良
昨晩、「なら燈花会」に行ってきました。 大変な人出でした。 一晩では回りきれませんでした。

上の写真は19時20分に写した猿沢の池と興福寺五重塔です。これ以降の写真は私のDMC-LS2では光量が不足気味であまりうまく撮れませんでした。

不動堂(高野山19)

2006年08月15日 | 高野山
国宝・不動堂(ふどうどう)
建久8年(1197)に、鳥羽上皇の皇女八条女院の発願により、行勝上人が建立した「一心院」の遺構である。
現在の建物は14世紀前半に再建されたものである。当初は阿弥陀堂であったと推定されるが、後に不動明王を本尊とし、脇士の八大童子は運慶の作。住宅風の仏堂として有名である。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺のホームページより)

大塔の鐘(高野山18)

2006年08月14日 | 高野山
大塔の鐘(だいとうのかね)
弘法大師が鋳造を発願され、高弟真然大徳時代に完成した。火災などで鐘楼が焼失し、3度ほど改鋳された。現在の銅鐘は天文16年(1547)に完成したもの、直径2.12メートルの大鐘で、高野四郎とも呼ばれている。
毎日、午前4時、午後1時、同5時(春期彼岸中日より秋期彼岸中日の間は午後6時)、同9時、同11時の5回、時刻を山内に知らせている。鐘の数は5回合わせて108となる。もとは法会などの集会を知らせるためのものであった。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺のホームページより)

根本大塔(高野山17)

2006年08月13日 | 高野山
根本大塔
弘法大師は高野山開創後、この大塔を真言密教の象徴として建立されたので、根本大塔と言います。再三、落雷等の火災にあい現在の大塔は、昭和12年に完成し、高さ48.5・、約23.5・四面の偉容を誇っております。
高野山宿坊組合・高野山観光協会のホームページより)

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拝観料200円を納めて中に入りました。 金色に光る大日如来を中心に、新しい諸仏がおわします。 周囲の柱には菩薩像が描かれています。 現代の色にあふれた世の中ではなかった古代の人には、極彩色の世界であったろうと想像されます。

孔雀堂・准胝堂(高野山15)

2006年08月11日 | 高野山
孔雀堂(くじゃくどう)(写真左)
後鳥羽法皇の御願により正治ニ年(1200)に落慶し、仏師快慶作孔雀明王を安置した。
堂は昭和に焼け、昭和59年(1984)再建された。孔雀明王は重要文化財として現存する。(説明板より)

准胝堂(じゅんていどう)(写真右)
光孝(小松)天皇の御願により真然僧正が建立。現在の建物は明治16年(1883)に再建されたもの。
本尊准胝観音はもとは食堂(じきどう)にあり、得度剃髪の時の守り本尊であった。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺のホームページより)