奈良、時々京都(写真館)

奈良、京都好きの写真ブログです。(たまには大阪も)

ゆく年 知恩院

2006年12月31日 | 京都の寺社

12月30日に知恩院に行ってきました。 市バスで祇園で降り、八坂神社を抜けて南門から知恩院に入りました。


右前方に大きな三門(国宝)が見えてきます。 元和7年(1621)に建てられたわが国最大の二重門です。 知恩院は浄土宗の総本山で法然上人の吉水(よしみず)禅房に始まります。


山門をくぐり石段を上ります。 この石段は男坂と呼ばれ、一段が普通の階段よりかなり高く、けっこうしんどいです。


石段を上ると、左手に国宝の御影堂(みえいどう)が見えます。 寛永16年(1639)の再建で知恩院の本堂となる大きな建物です。 内部は仏像ではなく、元祖法然上人の御影(みえい)をまつる厨子が中央にあります。


知恩院には古くから伝わる七不思議があり、そのひとつが鴬張りの廊下です。 実際御影堂の廊下を歩くとキュッキュッという音がしました。
もうひとつが御影堂正面の軒下にある忘れ傘。 左甚五郎が魔除けに置いたとも、白狐の化身・濡髪童子が置いたとも伝えられています。


宝仏殿の裏から石段を登ると大鐘楼が見えてきます。
知恩院の釣鐘は、京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ日本最大級の鐘です。 今夜のゆく年、くる年で中継される予定で、照明装置が設置されていました。


東寺(教王護国寺)2

2006年12月27日 | 京都の寺社

北総門
弘法さんの日には、北総門から北大門まで露天がずらりと並びます。


北大門
前に蓮池があり橋が架かっています。


食堂(じきどう)
入るのを忘れていました。


東大門
不開門(あかずのもん)。建武3年(1336)6月30日、新田義貞が決死の覚悟で東寺の足利尊氏を攻め、危機に陥った尊氏は門を閉めて、危うく難を逃れることができた故事により「不開門」とも呼ばれています。


弘法大師の修行像


南大門と五重塔
南大門の前から市バスに乗って帰りました。 前は九条通りです。

東寺(教王護国寺)1

2006年12月26日 | 京都の寺社
12月24日(日)に京都の東寺に行ってきました。


庭園から見る五重塔。


近づくと巨大さを実感します。


金堂(国宝)
本尊薬師如来。


講堂(国重文)
中に21体の仏像が安置されて、立体まんだらを見ることが出来ます。


金堂(手前)と講堂(奥)


野太刀~宝蔵院鎌兵法

2006年12月21日 | 春日若宮おん祭(お渡り式)

野太刀
一本の立ちを3人で担いでいます。


大和士(やまとざむらい)


子供大名行列
かわいらしい掛け声で行進していました。


郡山藩 大名行列


南都奉行


お渡り式の最後は宝蔵院鎌兵法。 何番も立ち合いを披露していましたが、途中で御旅所のほうへ移動しました。

このところ仕事が忙しくて、ゆっくりブログを更新する時間がありません。 最後は駆け足になってしまいました。 春日若宮おん祭(お渡り式)これで終わります。

田楽座(でんがくざ)~将馬(いさせうま)

2006年12月20日 | 春日若宮おん祭(お渡り式)

華やかな御幣を先頭に田楽座がやって来ました。


笛や太鼓で舞を演じます。 中でも大きな花笠をかぶった人が目に付きます。


つづいて流鏑馬児(やぶさめのちご)。


お渡り式が済んだ後で、この内の三騎の稚児が一の鳥居内で、一の的より三の的まで順次射ながら進んでいきました。


鎧兜を身に着けた武者が進んでいきます。


将馬(いさせうま)
かつて大和の大名家中より奉った引き馬の名残りで、馬だけを引いて歩きます。

細男座(せいのおざ)~猿楽座(さるがくざ)

2006年12月19日 | 春日若宮おん祭(お渡り式)

細男座(せいのおざ)白衣姿の六人。 一人だけ馬に乗っています。


赤や青の袍を着た十番力士行司支証(じゅうばんりきしぎょうじししょう)


馬長児(ばちょうのちご)


競馬


猿楽座(さるがくざ)


猿楽の舞
一の鳥居の内側に春日大明神が翁の姿で現れたという「影向の松(ようごうのまつ)」があります。 (現在は切り株のみ残っています。) この松の前で舞を演じてからでないと、お旅所へは入れない事になっています。

赤衣(せきえ)~神子(みこ)

2006年12月18日 | 春日若宮おん祭(お渡り式)

梅の白枝(うめのずばえ)と祝の御幣(いわいのごへい)を捧げた赤衣の二人。


赤衣が長い白布を垂らして先を進みます。


御幣


十列児(とおつらのちご)


日使(ひのつかい)


行列の順番に
(右上)辰市神子(たついちのみこ)
(左上)八嶋神子(やしまのみこ)
(右下)奈良神子(ならのみこ)
(左下)郷神子(ごうのみこ)だったと思います。まちがっていたら済みません。

春日若宮おん祭に行ってきました

2006年12月17日 | 春日若宮おん祭(お渡り式)

午前中は雨がぱらつき、気が気ではありませんでしたが、昼前には日も差してきて「お渡り式」を無事見ることが出来ました。 
午後1時前に紅白の旗に続き、稚児の行列で始まりました。


親に手を引かれた稚児たち。


榊?


輿


市女笠


貴人
行列の内容は拡声器で説明されていましたが、とても覚えきれませんでした。

佐紀神社から平城宮跡

2006年12月14日 | 秋篠寺から平城宮跡

称徳天皇陵から南へ歩き、ならファミリーの駐車場の間を東へ進みます。民家の間を縫うように進むと、御前池の前に佐紀神社がありました。 境内を見て先へ進むと、池の東側にも佐紀神社がありました。 (写真は東側の佐紀神社)


佐紀神社から東へ行くと右手に平城宮跡第一次大極殿正殿復原整備事業の建物が見えてきました。 平城遷都1300年にあたる西暦2010年(平成22年)の完成が待ち遠しいです。


平城宮跡は何も無いだだっぴろいところでしたが、少しずつ建物が復原されつつあります。 東南隅には東院庭園が、南端中央には朱雀門が復原され、ただいま第一次大極殿が復原中です。 いずれは全面的に、往時の平城宮が復原されるのでしょうか。


第二次大極殿の基壇の上に立ち、東を見やると若草山の前に東大寺大仏殿と二月堂が見えました。


朱雀門の前を走る近鉄特急。


朱雀門に別れを告げ帰宅の途につきました。 山茶花の紅い花びらが散って緑の芝生と対比をなしていました。 

「秋篠寺から平城宮跡」終わります。


神功皇后陵から称徳天皇陵

2006年12月13日 | 秋篠寺から平城宮跡

奈良競輪場の北から秋篠川を渡り、奈良大付属高校(写真左側)の前を歩くと正面にこんもりした杜が見えてきます。 神功皇后陵です。


堀端に上ってみました。 全長は275mもあり、佐紀古墳群のなかで最も大きな古墳です。 宮内庁の管轄とあってきれいに整備されています。


神功皇后陵
神功皇后は仲哀天皇の妃、応神天皇の母。 実在したかどうかはわかりません。 しかし天皇でもないのにこんなおおきな陵墓が指定されているのは、歴史上重要人物であったからでしょう。 このあたりのことは井沢元彦氏の「逆説の日本史 古代黎明編」を読むと非常に興味深いです。


日葉酢媛(ひばすひめ)陵(左)と成務天皇陵(右)
神功皇后陵から近鉄京都線を横切り、平城駅近くの辻を道標にしたがって成務天皇陵へ向かいます。 こちらも松並木の道が整備され、お金をかけているなぁという感じです。


成務天皇陵
仲哀天皇の父。 歴史上とくに興味を引く話はありません。 それにしてもこの松の枝ぶり。 よく手入れがなされています。 この隣には垂仁天皇の皇后日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵があります。


称徳天皇陵
成務天皇陵と日葉酢媛陵の南側に称徳(孝謙天皇)天皇陵があります。 歴史的事実からするとこちらの方がはるかに重要なのに陵の大きさは少し小さく形もはっきりしません。 ここでも天武系の天皇は差別されているような気がします。

秋篠寺(2)

2006年12月12日 | 秋篠寺から平城宮跡

本堂の左に開山堂があります。後ろに見えるのは霊堂。


開山堂の右に建つ石塔。
前に植わっているのは白い山茶花でしょうか。 寒椿かも知れません。


霊堂。こちらはピンクの花びらが散っていました。


後先逆になりましたが、受付を入ってすぐ左にあるのが大元堂です。 中に木造大元帥明王立像(国重文)が安置されています。 2mを超える半裸の像で、すさまじい憤怒の形相で迫ってくるらしいのですが、秘仏とされ、公開は6月6日の年一回です。
「とんでもとらべる奈良」というサイトで大元帥明王の写真が出ていました。 間近で見るとかなり怖そうな明王です。


受付を出て東門へ向かいます。 写真は十三社。 紅葉がほとんど散っています。


東門を出ます。 こちらの紅葉はまだ残っていました。

秋篠寺(1)

2006年12月11日 | 秋篠寺から平城宮跡

12月10日に秋篠寺に行ってきました。 今年は秋篠宮様に新宮様がご誕生になったこともあり、一度は訪れてみたいと思っていました。近鉄西大寺駅よりバスも出ていますが、歩いて約20分で秋篠寺の南門に着きました。


山門をくぐり奥に進むと、金堂跡に苔のじゅうたんが広がっていました。 


受付を通り中に入ると本堂(国宝)が見えます。 創建当初は講堂として建立されましたが、金堂焼失の後、鎌倉時代に大修理を受け、以後本堂と呼ばれてきました。 本堂の左側から中に入ると、中央に本尊の木造薬師如来(国重文)が座っています。 両脇には日光、月光菩薩が立ち、そのほか諸仏が立っていました。 そしてお目当ての伎芸天(ぎげいてん)(国重文)は壇の左端に立っていました。 ふっくらとした体つきで、首を少し傾けて瞑想しています。


歴史散歩事典の表紙を飾るこの仏様と、ひとときの間対面してきました。


本堂を出て裏に廻ってみました。本堂の右側に鐘楼が建っています。


本堂と開山堂の間に、石仏が立っていました。 その姿からすると役行者(えんのぎょうじゃ)のように思えます。

2006秋の室生寺

2006年12月02日 | 室生寺

2006年11月26日に室生寺に行ってきました。 今にも雨が降り出しそうな天気でしたが、なんとか午前中は持ちました。 室生川に架かる太鼓橋を渡ると表門が見えてきます。


表門は出口専用になっているので、右の赤門まえの参道を進みます。


受付を通って右へ曲がると仁王門が見えます。


門をくぐり突き当りまで進みます。 左に鎧坂と呼ばれる石段があり、上の金堂まで続いています。


金堂(平安初期、国宝)
本尊釈迦如来立像ほか国宝・重文の仏像がずらりと並んでいます。


弥勒堂(鎌倉時代、重文)
本尊弥勒菩薩立像(重文)、客仏釈迦如来坐像(国宝)


灌頂堂(本堂・鎌倉時代、国宝)


五重塔の周りには紅葉はありませんでした。 今回は紅葉狩りに来たので、五重塔は撮影しませんでした。
写真は表門の内側に建っている本坊。