旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

しなの鉄道 鉄印の旅Ⅱ 5 北しなの線の旅は続く

2020-11-19 16:45:16 | しなの鉄道の旅


しなの鉄道 北しなの線下り 普通 妙高高原行 329M
 始発 長野11:19
 しなの鉄道色の115系S4編成3両編成に乗って妙高高原駅に向かいます。


豊野 トヨノ          11:32着 11:33発
 飯山線と暫く並行した後、左折するように離れます。




 徐々に高度を上げていきます。


 千曲川に注ぐ鳥居川に沿うように山地に入っていきます。
 

牟礼 ムレ           11:41着 11:41発
 相対式ホーム2面2線で、互いのホームは跨線橋で連絡しているこの駅の標高は487.1m。334.6mの豊野駅から152.5m高くなっています。
 この跨線橋は1900年(明治33年)の建設で、現在使われている駅構内の跨線橋としては国内最古級といわれ、1956年(昭和31年)5月に、それまで使用されていた豊野駅から移築した物だそうです。


 通路の骨組みには古いレールが使われていて、橋脚には「鉄道作業局 新橋工場製造 明治三十三年」と陽鋳された銘板があります。
 3両編成の場合、先頭車両中程から確認できますが、シャッターチャンスを逃しました。


 築堤の上を上っていきます。


 少し平地が開けます。


 さらに25‰の勾配で上っていきます。

 新大廻トンネル、戸草トンネルと二つをトンネルを抜けると古間駅に着きます。

古間  フルマ         11:48着 11:48発
 かつては単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線の計2面3線のホームを持っていましたが、島式ホームは不使用となり、跨線橋も撤去され、現在は単式ホーム1面1線と、しなの鉄道の駅では唯一交換設備を持たない駅です。
 ここの標高は633.2m。牟礼駅から146.1m、豊野駅から298.6m高くなりました。


  古間駅は野尻湖の南にあたり、ここから左に回り野尻湖を迂回するように進みます。
 国道18号北国街道が左に沿う辺りが元々の古間の集落。
 天気が良ければ左手に、飯縄山・戸隠山・黒姫山と美しい山並みが見えるはずでした。


 ここは信濃国柏原。右手に見える路の先には、小林一茶の旧宅があるそうです。


 黒姫駅の長野寄りには、現在は使われていない転車台があり、引き込み線も残っています。




黒姫 クロヒメ         11:53着 11:54発
 長野駅と同じく、1888年(明治21年)5月1日の開業です。
 当時は柏原駅という駅名でしたが、1968年(昭和43年)10月1日に、当時、開発が進んでいた黒姫高原の観光玄関口にと、黒姫駅に改称しました。
 なお、ナウマンゾウの化石発掘調査が行われる野尻湖への最寄り駅、バスで10分ほどだそうです。


 天気が良ければ、左手に黒姫山や妙高高原が見えるはずなのですが、雲が邪魔をしています。


 標高671.8mの黒姫駅を後に、下っていきます。


 536mの野尻トンネルを抜けると、日本初の揚水式水力発電所、東北電力池尻川発電所が右手に見えます。
 簡単に言えば日中は野尻湖から取水して発電し、夜間は発電に使った水を野尻湖に送る。これが、揚水式の仕組みのようです。


 2つ目の赤川トンネル439mを抜けると、左手に日本海に注ぐ関川が見えます。


 ようやく雲の切れ間から青空が広がってきました。


 関川橋梁を渡ります。ここが長野・長野県境です。しなの鉄道とえちごトキめき鉄道の境界柱が見えます。   


 妙高高原駅構内に進行すると、駅裏にあたる右手遠くにスキーのジャンプ台が見えます。ここは、1972年(昭和47年)から2003年(平成15年)まで営業していた「妙高パノラマパークスキー場」跡です。
 「オリンピック・イン妙高高原」という宿泊施設をもち、6本のリフトを備えた中規模のスキー場だったそうですが、駅からタクシーで15分の所の妙高山麓には「妙高杉ノ原スキー場」をあじめとする日本屈指のロング滑走ができる広大なスキー場が完成したのが、廃業の遠因の一つだったのでしょうか。


妙高高原 ミョウコウコウゲン  12:02着
 ここで、えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに乗り換えます。

 つづく


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