goo blog サービス終了のお知らせ 

旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

晴耕雨読日記 平成28年10月17日月曜日 野辺地駅名所案内板

2016-10-17 17:19:32 | 晴耕雨読日記
 今朝、雨が降っていたため作業が休みとなりました。
 運転免許更新の年なので、運転免許センターに行って更新してきました。

 午後には、昨日の「青い森鉄道まつり2016」の鉄道部品即売コーナーで購入した物が届きました。

 野辺地駅の名所案内板です。両面に有り、比較的状態も良かったので買いました。



青い森鉄道全駅下車の旅18(完)~三沢駅・上北町駅

2016-10-17 16:44:23 | 青い森鉄道全駅下車の...
 快速しもきた 八戸行で次の下車駅、三沢駅に向かいます。


野辺地  15:06着 15:10発   
千曳    レ
乙供    レ   
 外観がピンクで目を引く東北町浄化センター。


 七戸町李沢家ノ後地区の、七戸バイオ高炉工場です。木質資源を燃料とする小型高炉で廃家電などを溶解し、金属などを回収する工場で、バイオの名の通り木材をチップに加工することが不要なため、建設廃材などをそのまま燃やせる特徴があるそうです。


上北町  15:24着 15:25発
 下り線では上り線の橋脚が邪魔をしてよく見えない小川原湖も、上り線ではよく見えます。




小川原   レ 
 小川原駅を出てすぐ、保守点検用でしょうか上り線と下り線のを結ぶ渡り線が見えます。


 23分間の乗車で到着します。
三沢   15:33着




 米軍基地の街だけあって、駅名票もここだけのものがあります。






 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線の有人駅です。
(向山駅方面)


(小川原駅方面)


 駅舎は橋上駅になっていて自由通路があり、正面口と東口があります。




正面口には、今から1300年あまり前、京の公家 橘中納言道忠が世をはかなみ都を離れ小川原湖のほとりに庵を構えました。京に残された玉代姫・勝世姫の二人の姉妹は、父を訪ねて湖畔にたどり着きましたが既に父は亡く、悲しみのあまり姉妹は湖に身を沈めたという伝説にちなんだ、玉代姫・勝世姫のこけしと、基地の街らしく飛行機のオブジェのついたポストが並んでいます。


 そういえばホームの待合室の窓にも飛行機が描いてあります。


 三沢駅前には、旧駅舎が二つ現存します。
 一つは国鉄時代に建てられた、白樺の駅舎です。現在は、「青い森たびショップみさわ」
が入っています。正面からだと分かりませんが、1番線のホーム側から見るとよく分かります。




 もう一つの駅舎は、平成24年4月に廃止された十和田電鉄の駅舎です。


 今でもバスの待合室として使われていて、バス出札口やそば屋がそのまま残っています。




 電鉄時代の頭端式ホーム1面はそのまま残り、2線のレールは撤去されています。


 駅の側にある現在の「星野リゾート 青森屋」。旧古牧温泉の名残なのか、元湯のある建物には「古牧」の文字が見えます。


 普通 青森行に乗って、最後の下車駅上北町駅に向かいます。


三沢   15:56着 15:57発   
 かつては、在日米軍三沢基地へ至る全長7.9kmの専用線がありましたが、いまは廃止され、陸橋の先で断線しています。


小川原  16:02着 16:02発   
9分間の乗車で到着します。
上北町  16:05着






 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線の有人駅です。
(乙供駅方面)


(小川原駅方面)


 今では珍しい煉瓦造りの保管庫が、今でも倉庫として使われています。


 駅舎は国鉄時代からのもので、待合室も広いものです。






 駅前には、気を付けなければ気がつかない駅開業88周年記念と思われる記念石があります。


 逆に目に付くのは、町村合併前の「上北町(かみきたまち)」の町章をでサインした日時計です。


 2日に分けた青い森鉄道全駅下車の旅も終わり、普通 青森行に乗り家路につきます。


上北町  16:59着 17:00発

   
乙供   17:05着 17:05発   
千曳   17:10着 17:11発   
 16分間の乗車でした。
野辺地  17:16着


 旅の終わりは、昭和27年から販売されている野辺地駅の駅弁「とりめし」。かつては東京の駅弁大会でも売られたことのあるものです。




 おしまい

青い森鉄道全駅下車の旅17~乙供駅・野辺地駅

2016-10-17 04:59:09 | 青い森鉄道全駅下車の...
 普通 八戸行で乙供駅に向かいます。


狩場沢  14:07着 14:07発   


野辺地  14:12着 14:13発   
千曳   14:17着 14:18発   
 16分間の乗車で到着します。
乙供   14:23着


 北海道の駅名はアイヌ語の地名に由来するところが多くありますが、この青い森鉄道にもアイヌ語の地名に由来する駅があります。
乙供駅もその一つ。「オタ(砂地)トモ(はずれ)」地名が由来と言われています。




 単式ホーム2面2線の有人駅です。
 ここもかつての2番線は架線が撤去され、保線車両の待機線となっています。
(上北町駅方面)


(千曳駅方面)


 駅舎は国鉄時代からのものです。




 改札口には、「乙供駅」の看板と駅名票の2つが有り、外の表示は何となくJR東日本のコーポレーションカラーに見えます。




 普通 青森行に乗り野辺地駅に向かいます。

  
乙供   14:30着 14:31発   
千曳   14:36着 14:36発
 10分間の乗車です。   
野辺地  14:41着


 野辺地の地名由来も、ヌップぺツ(ヌップ-野をながれる川、ペツ-大きい川)というアイヌ語説と海岸に沿って延びた広い原野を意味する延地(のべち)からきているという説があります。


 単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線の計3面5線の有人駅です。
 出札窓口の他に、「青い森 たびショップのへじ」と自動券売機があります。


 営業時間が7時から17時までと短くなったものの、青い森鉄道内で少なくなった「KIOSK」が毎日営業しています。


 「伯養軒」から「こけし亭」へと長年営業していた立ち食いそば店が、平成26年3月閉店しましたが、駅前の焼き鳥屋さん「パクパク」が引き継いで「駅そば パクパク」として営業しています。


 おすすめは「北前駅そば」です。
 是非一度、野辺地駅で下車してほしいものです。


 江戸時代から明治半ばの鉄道開通まで、野辺地の湊は海運で栄えました。特に北前船の寄港や南部領尾去沢(秋田県鹿角市)から産出された銅を野辺地湊から大坂まで運ぶことになり、野辺地には多くの商人が移り住むようになり、やがて自ら船をもち廻船を営む商人も現れました。
 1827年、賑わった野辺地湊へ夜間入港する船への目印として、建てられたのが今の灯台にあたる常夜灯です。名の通り、旧暦3月10日から10月10日までの間、毎晩火が灯されたと言われています。
 この常夜燈を建てた施主は、野辺地の廻船問屋野村治三郎、運送にあたった世話人は関西の船主橘屋吉五郎です。
 野辺地湊跡に現存していて、野辺地駅の大湊線改札跡にはそのレプリカがあります。


 次は、三沢駅で下車します。

 つづく