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パラエストラ八戸練習日記とお知らせ

増刊号・12/29(日)えーじ日記

2019-12-29 22:08:12 | 増刊号
増刊号・12/29(日)えーじコーチ日記

文・小笠原イガーえーじ

藤野さんが仕事の都合で転勤になり、約2年ほどの八戸滞在を終了しました。

TEAM JP発足の半年前ぐらいから、自分のクラスに出て貰っていたと思う。

藤野さんは自分と年も近く、さらに自分と違って大人だったので随分と助けていただいた。

初めに来た時のことは良く覚えている。
ニコニコしながら、「今日からよろしくお願いします」的なことを言って参加してた
と思う。
後で聞いた話だけども、あの時点で格闘技を初めて半年くらいだったとのこと。
打投極ともに常に自分よりキャリアのある人に囲まれて大変だったと思う。
毎回、スパーするたびに思うようには動けずにやられる感じだったはず。
でも、藤野さんはめげることなくニコニコしながら毎回やってきた。

不思議というか、当たり前なのかの区別はつかないがあの時点で藤野さんよりMMAの
技術で上回る人はたくさんいたけど、元からいたメンバー以外で続いたのは藤野さん
だけだった。

相当、根性を据えて毎回きてたのか、あるいは「格闘技ってこういうもんだ」と思っ
ていただけなのか。

そのうちにジュンペイ君がプロに挑む試合に出ることになった。練習もハードになる
し、さらにはワンポイントアドバイス以外のフォローもできない中でも、試合の協力
をしてくれた。

協力のおかげで、ジュンペイ君がプロにあがり、初のパンクラシストが誕生すること
となった。ハイブリットレスリングを発足させてから10年余、他の格闘技のバック
ボーンを持たないプロ誕生はひとしお嬉しい気持ちがした。もちろん、そこにはジュ
ンペイ君の身体的な才能、そして努力を継続する才能があることは間違いないことだ
が。

プロ昇格を機にクラスの名前を「TEAM JP」と変えた。ジュンペイ君のサポートがメ
インだが、ジュンペイ君に限らず試合に出る人の準備をみんなでサポートする、とい
う本質は変わらない。

藤野さんの本質もぶれない。デビュー戦が決まって、さらにはネオブラッドトーナメ
ントへの出撃に対してもずーっとサポートし続けてくれた。

プロの試合の合間に、BRAVE等の他のアマチュアの試合があるときも、もちろん選手
のサポートをしてくれた。時にスパー相手となり、追い込みミットの持ち手となり、
選手に檄を飛ばしてくれた。


去年から始まったパンクラスへの挑戦と冒険はチームの皆の力無くしては出来ないこ
とだった。

話は変わるが、同じメンバーと同じようなスパーをしていると当然自分が進化した
分、周りも進化するので、多くの場合、実力差も埋まらず「本当に自分はこれだけや
られ続けているが、強くなれているのだろうか?」と思って当然だと思う。

格闘技を始めるにあたっては色々な理由があると思うが、「強くなりたい、試合に勝
ちたい、結果を出したい」そう思ってやっている人もいる中で、ずーっとやられ続け
るのは精神的にきついと思う。多くの場合は新しい人が入ってきてその人に自分の強
さを試すことで「強くなってる」という実感や続けられるモチベーションになる場合
が多い。
でも、藤野さんはずーっと一年生でいつづけた。それでもいてくれた。ニコニコしな
がら。

でも、藤野さんは、確実に強くなっていった。

あれはネオブラの決勝前の練習の時、減量も始まり、疲労もたまった状態のジュンペ
イ君を4つ状態から見事にテイクダウンをした事があった。過去の試合前の練習では
見ることのなかった光景だ。

ジュンペイ君の練習の合間に藤野さんとグラップリングをした。明らかに四つが強く
なっていた。
打撃スパーもした。プレッシャーのかかり方が前よりのかからなくなった。以前より
過度に恐怖心を感じなくなってる。自分の距離をしっかりと把握できるようになって
る。距離に応じた動きの選択がより良いものになってる。


間違いなく、藤野さんは、強くなっている。


チームのみんなで試合に出る人を強くして、その影響で自分も強くなる。理想的な相
乗効果だ。
この時でもズブの素人から初めて1年と半年くらいじゃないだろうか。年齢的なアド
バンテージも時間的なアドバンテージもなく、恵まれたフィジカルや基礎となるバッ
クボーンもなくてもここまで強くなれてる。


ハッキリいって、自分が格闘技を始めた時の同時期とは比べることも出来ないくらい
藤野さんは伸びてた。凄いことだと思うし、尊敬に値する。格闘技をファッションで
やる人間とは同列に扱えない(別に、一つの価値観として否定はしないけど)。


ジュンペイ君の冒険がひと段落して年末を迎えるにあたって、藤野さんが12月に
BRAVEのキックにチャレンジすることになった。
そして、同時にお仕事の関係で八戸を離れることになった。

ファーストファイトであり、チームとしてのラストファイト。どうしても、是が非で
も、悔いのない戦いをさせたい、デビュー戦を飾らせてあげたい。

そう思って、チームのメンバーでサポートした。

決戦の日が近づいたある日、ジュンペイ君にお願いをしてみた。
「ジュンペイ君が決勝で使ったファイトスパッツを藤野さんに譲っても良いだろう
か?」
もちろん2つ返事でOKを貰えた。





あのスパッツには決勝で負けた苦い思い出もあるが、最後の1秒まで諦めることなく
戦った想いが込められている。
もちろん、折れそうになる心を支えたのには、チームの練習も少なからず影響したこ
とだろう。
ジュンペイ君を支えた藤野さんの想いを、また藤野さんを支えるために使ってもら
う。

情けは他人のためあらず、因果は巡る糸車

そんな思いを込めて、藤野さんはファイトショーツの下にあのスパッツを履いて臨ん
だ。
(本当はあれ一枚で臨みたかったのはここだけの秘密)

そして迎えた勝負の時、結果はもう既知のとおり。
デビュー戦を勝利で飾り、藤野さんの八戸での格闘技生活は有終の美を遂げました。

デビュー戦で勝つって意外に難しいような気がしてます。
結果だけで言えば、勝つ、引き分け、負けの1/3でしかないと思われがちですが、公平なマッチメイクをして貰ったとしても、デビュー戦同士ってあんまりなくて、もう既に試合した事のある人と当たる事もあります。
大きな数字の上で見れば、たかだか一戦、二戦の差でしかないように見えますが、やる当人にとっては試合をした事がある、ない、という0か1かのデジタルな問題って大きいと思います。どんなもんかやった事ないわけですから。

自分の事で恥ずかしいんですが、アマチュア修斗に出させてもらった時三連敗してようやく一勝をする事が出来ました。もちろん自分の能力不足もあるんですけど。


兎にも角にも、藤野さんは勝ちました。


これまで、藤野さんよりも若かったり、才能に恵まれたり、バッグボーンがあった人は何人もいましたが、その全ての人がデビュー初戦で勝てたかというと、…。チャレンジすら出来なかった、しなかった人もいたと思います。


藤野さんが初めてクラス練習に参加した時、自分はその芯の強さを見抜く事ができませんでした。
「こんな状態で、練習についていく事が出来るだろうか?」と、すら思ってました。


自分の目は節穴でした。そして、改めて継続する事の難しさ、尊さを藤野さんから学びました。


松下幸之助の言葉に
塩の味はなめて見ないとわからない
とあります。





今思えば、藤野さんが自分からクラスに参加してくれた時、そして続けて来てくれた時に既に芯の強さがあったんですね。


試合前の練習でハードな中、チームの集まりが悪く、今日はマンツーマンだな、と覚悟を決め直してたときに定刻にニコニコしながら来てくれた藤野さん。
あの時ほど心強く思った事はありません。





塩の味も、さることながらデビュー戦の勝利の味を一緒に味わえた事、格別です。




書けば書くほど、感謝とそして、寂しさばかりが溢れ出てきてしまいます。


ここは格闘技ジムです。今までも様々な人が、様々な理由でジムの門をくぐり、そして出て行きました。



自分も至らない人間ですから、また会いたいと思う人もいれば、もう二度と会いたくない人もいますし、同時にそのように思われてもいるかと思います。


しかしながら、会いたいと思える人とはやはり、格闘技を続けていると思いがけない場所で会えて嬉しかったりします。


藤野さんに、再会出来るよう自分なりに努力していきます。藤野さんがいた時と変わらないように、いやさらに良いチームになるように、みんなで頑張ります。


単身赴任先に八戸を選んでくれてありがとうございます。
Tシャツやスパッツを見た時に、少しでも道場での日々を思い出してくれれば、こんなに嬉しい事はありません。

では、お元気で!

2019 年末 TEAM JP

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