弁護士辻孝司オフィシャルブログ

京都の弁護士辻孝司のブログです
弁護士の活動、日々感じたことを弁護士目線でレポートします
弁護士をもっと身近に・・・

台湾訪問記その11・死刑制度廃止検討委員会視察 2019.9.2.-9.4 -死刑雪冤者

2019-09-20 18:42:22 | 日記・エッセイ・コラム

死刑廃止連盟での懇談会には、死刑判決が確定した後に冤罪であることが明らかとなり、再審で無罪となったお二人もお越しくださいました。

蘇建和さん(左)、徐自強さん(右)というお二人です。

お二人からは、台湾において死刑確定者がどのように処遇されているのかを教えていただきました。

 

 

蘇建和さんは、1991年、殺人事件で無実であるにもかかわらず死刑判決を受けました。

この死刑判決は1995年に確定します。

しかし、その後も一貫して無実を訴え、ようやく2000年に再審開始が認められ、2003年に無罪判決を受けました。

ところが、台湾高等法院はこの判決を覆して、2007年に再び死刑判決を下します。

それでもあきらめずに無実を訴え続け、ついに2012年に無罪判決が確定!

晴れて自由の身になった方です。

2014年には、アムネスティ日本に招かれ、日本にもお越しになっています。

その際には、袴田巌さん、袴田秀子さんにもお会いになったそうで、袴田さんがまだ無罪になっていないことが残念だとお話になっていました。

 

 蘇さんは、1995年に死刑判決が確定してからは台北拘置所に収容されていました。

この建物は日本統治時代のとても古い建物だったそうです。

死刑確定囚として過ごした17年のうちの前半は本を読むことしかできなかったが、後半になって、ラジオ・テレビが視聴できるようになったそうです。

本数の制限はありましたが、タバコを吸うことも認められていたそうです。

収容室は1.368坪の部屋に2,3人で一緒に暮らしていて運動もできないような状況で、しかもいつ執行されるかもわからないというストレスが強力だったということです。

驚くことに、収容中は、重さ二キログラムの足かせをずっとさせられていて、寝るときも、シャワーの時も外してもらえなかったということです。

鉄の足かせで冬は冷たくなってとてもつらかったそうです。

死刑廃止連盟の人たちが来て拘置所に抗議してくれたことで、ようやく足かせは外されたということです。

しかし、10年間も足かせをつけれらていたことで、外した時に体の重心がどこにあるのかわからなくてつらかったということでした。

再審無罪になって釈放された後も整骨院に通っていて、今も後遺症があるということです。

 

 

徐自強さんは、1995年に誘拐殺人事件で死刑判決を受け、この死刑判決が2000年に確定しました。

その後も、無罪を訴え続け、16年間を死刑囚として監獄ですごした後、2016年に再審で無罪となった方です。

2018年には、やはり、アムネスティ日本に招かれて来日し、狭山事件の集会にも参加されたということです。

徐さんによると、

自分が収容されていた1991年から2000年当時の処遇と今の処遇は変わっているが、

以前は、死刑確定囚は毎日2通の手紙を送ることができ、2日に1回は家族でも誰でも面会ができたということです。

拘置所から電話をかけることもできて、1週間に6回、1回6分間の通話が許されていたそうです。

本の差し入れも2冊までと決まっていたけれども、本が大好きだったので1回で300冊送ってくれといったら届いたこともあったということでした。

また、面会の時は、(アクリル板ではなく)珊だけの仕切りだったので、面会に来てくれた人の手を握ったりもできたそうです。

かつては死刑判決が確定すると3~10日くらいの間には死刑が執行される時代だったので、毎日面会をして、面会者と手を触れあうことも許されていたようです。

ただ、徐さんの死刑判決が確定したころには、すぐには執行されない時代になっていたので、初めのうちは特別な面会が認められていたけれども、一か月執行がなかった段階で、通常の収容者と同じ処遇に戻されたそうです。

 

 

いつ執行されるかわからない状態で、10数年も死刑確定囚として過ごすということはどれほどのストレスであったか、想像することもできません。

お二人の共犯者とされた人の中には、すでに死刑が執行されてしまった人もいるようです。

でも今は、お二人とも明るく当時のことをお話ししてくださいます。

釈放されてからは社会生活を送ることもできているようで、自作したお米を記念にいただきました。

ありがとうございます。

視察団みんなで、おにぎりを作っていただこうと楽しみにしています。  

上の写真は、徐さんの死刑囚として過ごした日々について記された「 1.368」という書籍です。

「1.368」というのは、死刑囚が収容されていた房の床面積のことです。

単位は「坪」です。

1坪あまりのところに、2,3人が収容されていたというのですから、とても過酷な収容状況です。

 

この本もそうなのですが、台北についてから、あちこちの不動産の広告に「坪」という単位で面積のことが記載されているのを見かけて、不思議に思っていました。

「坪」というのは、日本では畳二畳の広さという意味で、およそ3.3平方メートルのことですね。

この単位は日本独自のものだと思っていたのですが、台湾でも、日本統治時代の名残で今でも「坪」が土地の広さを表す単位として一般的に用いられているようです。

台湾の「坪」の広さは、日本と同じ3.3平方メートルのようです。

今では、日本でも土地の広さは「坪」で表すことも多いですが、マンションなど建物の広さは「㎡」が一般的です。

しかし、台湾では、今も「坪」の方がポピュラーなようで、マンションの広告はすべて「坪」で表記されていました。

帰国後調べてみると、台湾では「台制」と言って日本統治時代の尺貫法をベースにした単位があるそうです。

現在では公式にはメートル法やグラムが単位になっているようですが、坪、尺、寸、升、合といった台制の単位が用いられることも多いようです。

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る