今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

白泰山

2006年01月14日 | 山登りの記録 2006
平成18年1月11日(水)
(白泰山1,793.9m)

 昨年暮れに登った熊倉山・酉谷山間の展望のいい岩峰から、和名倉山と両神山の間にすっくと立った台形の双耳峰が望まれた。「こんなところに、こんな立派な山があったかなあ…」としばらく考えたが、それが白泰山であるとはその時は思い至らなかった。白泰山という名前は知っていたが、それは「十文字峠道」中間地点の地名としての認識しかなかった。一般的にも白泰山は単独で登られている山ではない。そればかりか、「地名としての山」であって、具体的に登山対象として考えられていないように思う。家に帰ってから地図で確認して「その山」が白泰山であることを知り、実はちょっと驚いたのだった。そのくらい、あの時の白泰山は見栄えのする立派な山容だった。
 
 白泰山について調べてみた。古くから秩父と信州川上郷を繋ぐ捷路であった十文字峠越えの道は、今では本来の目的を終え、静かで長い、ある意味では冗漫なルートとして一部の登山愛好者に親しまれている。白泰山はその十文字峠越え道のほぼ中間辺りにあり、このルート唯一地形図に名前のある山だ。白泰山については、ネットで調べても十文字峠越えの途中通過地点といった記載しかないし、この山を目的に登っている記録も余り無さそうだ。山頂に至る道はつい最近まで踏み跡程度、巻き道を辿って山頂は巻いてしまう登山者もいまだに少なくないようだった。つまり、中国の奥山みたいな名前の白泰山は一枚看板の主役ではないというのが真実だった。そんな一般的な扱いや評価は、ぼくにとってはどうでもよいこと、遠くから眺めたこの山の崇高さに惹かれてぜひ登ってみたいと思っていた。この冬は例年にない記録的な寒波の影響で、登れる山は限られてしまっている。しかし、この白泰山方面はもともと冬の降雪量が少ない山域だから、いくら今冬が異常とはいえイメージとしては例年の2月の積雪状態を考えて行けば問題ないと思った。9日に石尊山に登ったばかりだが、11日の休みに決行する事にした。

 前夜発。秩父市内の夜間営業のスーパーで食料を調達し、旧大滝村の栃本に向かう。栃本へは三峯神社方面の旧道に入り、栃本関所跡という標識を目標にして進む。「栃本広場」という看板がたくさんあり、ここに駐車場があるようなので一応この栃本広場に行ってみることにした。
 栃本集落よりかなり上部に栃本広場があった。この辺りで道路に雪があるようになったが、大した量ではない。栃本広場は単なる駐車場で、そこから幾つかの周回できるハイキングコースがあるようで、ここがその起点になっていた。この先の奥に伸びる林道方向を指す小さな標識に「林道先、白泰山方面登山口」とあったから、そのまま雪が急に深くなった林道を先に進む、ここまでの道は除雪してあったようだ。雪の林道を1㌔ばかり走ると、待避帯でやや広くなった地点に自然木で作られた「十文字峠方面」と書かれた標識があった。林道の反対側には、分断された登山道の下降口を示す同じ標識に「栃本方面」と書かれてあった。事前に調べた登山口は、栃本関所跡から奥に伸びる林道終点の両面神社だった。この道はそこから100㍍程登った所のようで、登りを少しはしょったことになる。車の外に出てみると深夜の1時過ぎなのにあまり寒さを感じない。すっきりと星が出ている晴天だが、今夜はあまり冷え込んでいないようだ。待避帯の隅に車を停め、携帯のアラームを6時半にセットしてシュラフにくるまった。

 アラームで目が覚めた。拍子抜けするくらい寒くない。前夜に買ったいなり寿司を食べて、7:05冬山完全装備で出発する。でも、林道にこそ雪があるものの、登山道にはほとんど雪が無い。今回はダブルストックで快調に、と思っていたものの、雪の無い道はむしろダブルでは邪魔なくらいだった(ぼくは雪が無ければストックは持たない主義)。ピッケルにアイゼンまで持ってこようとして、直前にどう考えてもここには必要ないだろうと止めたのだったが…ここまで雪が少ないことは意外だった。
 雪の無い植林帯を緩く登って行く。一登りした後は、ほぼ水平に近い巻き道になって細いナラが主体の雑木林を歩くような道が続いた。一里観音まで来ると、向かいに和名倉山と右手に雁坂嶺・破風山が木の間越しに見えてくる。道はここで分岐し、秩父湖と書かれた道が下っていた。この辺りは雑木にスズタケの明るい斜面で、融け残った雪もほんの少しだった。雪も少ないし邪魔なストックはシングルにして1本はザックに入れた。

 道は尚も緩く登っていく、もう年が変わったからおととしになるが、雁坂峠に上る黒岩尾根を登った時のあの道に良く似ている。まあ、樹相にしても川を挟んで向かいの尾根を上る道なのだから、良く似ていても不思議はないのだろう。本来峠を越える生活道路であった訳だから、全てのピークは巻いてできるだけ平坦につけられている。尾根は直ぐ上にあるが、ずっとその下を緩く上っている。ナラからブナに変わり、かなりの大木が見られるようになる。少しずつ積雪量が増えてきて、20㌢程に成った。風も無く暖かい陽射しはもう春を予感させるような気分にさえなる。ホオジロのさえずりまで春のようだ。
 少しずつ高さを増してはいるが、あまり急な登りも無く相変わらず歩くような道が続いている。雪道には人の靴型の他に、シカとウサギの足跡がたくさんある。随分登ったかなと思うころ、木々を透かして白泰山が見えてきた。頂上まで黒木に覆われた、いかにも奥秩父の一峰といった雰囲気だ。この辺りからは、ほぼ稜線に沿って登るようになって次第に傾斜がきつくなった。

 白泰山が近く大きくなり、そのまま北面の巻き道に入る。巻き道はぐっと積雪量が増えるが、それでもスパッツを越える程ではないから歩くのに特に支障はない。人一人のトレースが付いているが、あまり歩いている人も居ないようだった。この雪自体、最近積もったものではないだろう。昨年暮れに関東南部の平野で降雪があったが、その時に降ったようだ。向かいに両神山と赤岩尾根から上武国境の天丸付近(天丸自体は倉門山に隠れて見えない)まで長く続いている岩稜が真正面に見えた。これらの山々を見るのにここは最良のスポットだろうと思う。両神山との間に低い山並みが見えるが、今まさにこの山の斜面を皆伐中だった。一木さえ見えないはげ山の斜面がこちらに見え、チェーンソーの唸りがここまで微かに響いてくる。こうして一見人里から見にくい裏側を、見事なまでにはげ山にする、これが巧妙に批判をかわす森林伐採の常套手段なのだろう。

 白泰山の巻き道は益々積雪が深くなり、時として吹きだまりに足を取られて歩きにくくなってきた頃、頂上への分岐を示す指導標が立っていた。以前は不明瞭な踏み跡だったらしいが、この標識を作った浦和北高校の山岳部がここから白泰山頂上までの道を整備したということだ。その木製の標識はクマが囓ったらしく一部損傷していた。山の主にとって人が入る登山道は要らないという実力行使か?不思議な事だが、この先の避難小屋の脇に立っていた標識も明らかにクマによる損傷を受けていた。彼らの力の強さを目の当たりにすると野生の尊厳と畏怖をさえ感じるのだった。

 分岐からは雪の急斜面になった。しまっていたストックも出して、ダブルストックで登る。シカやウサギもこの人間の道を利用しているのか、薄く付いている人のトレースよりもこれらの方がくっきりと幾つもの足跡を残している。辺りはコメツガの樹林で、頂上部はそれが一層密になって薄暗かった。雪道のトレースを分断するように、上から下に爪痕も鮮やかなクマの足跡が横切っていた。山の主の生息密度はかなり高いようで、あまりに新鮮な足跡に思わず周囲を見回してしまった。しかし、森とした雪の樹林帯には、キツツキがこつこつと木を叩く音が微かに聞こえるばかりで、生き物の気配はしなかった。少し息が切れてくる頃、白泰山の肩に出た。そこにも標識が立っていた。後はコメツガの樹下に疎らな雪を踏んで10:02頂上に着いた。割合ゆっくりと登ってきたのと、積雪があったのでコースタイムよりやや時間が掛かった。

 白泰山の頂上には二等三角点があり、浦和北高校が立てた山名標識の他にいくつか山名板があった。コメツガに覆われて展望はない、低木層にアセビが多く目に付いた。南西に少し進むと岩場になって、そこから甲武信三山と破風山・雁坂嶺の展望があった。これら奥秩父の主稜線は、ここより更に500㍍以上も高いから、見上げる角度で逆光のシルエットになっていた。静かで風も無く暖かくさえ感じるが、写真を撮るために手袋をはずしていると、いくらもしないうちに指の感覚が無くなるくらいかじかんだ。一休みしてパンやお菓子を食べた。静寂が包むひっそりとした山頂は、ぼくを「山の気」の様に迎えるのだった。

 10時半に白泰山頂を下り、巻き道の分岐まで降りる。そこから避難小屋まで歩きにくい深雪で少し時間が掛かった。白泰山を巻き終わり、少し登って樹林に建つ白泰山避難小屋に着いた。ここには二里観音がある。二里観音は一里観音よりも出来が良く、大変穏やかな表情で風格があった。避難小屋の中を覗くと、驚くほどきれいになっていた。奥秩父の避難小屋はどこもきれいで、使う人のモラルの良さを感じて気持がいい。

 避難小屋の先に標識があり、ほんの一登りするとのぞき岩の展望台に出た。ここまで来て本当に良かったと思う瞬間だった。岩棚は先ですっぱりと切れ、その向こうに一大パノラマが広がっていた。真正面に雁坂嶺と破風山から甲武信三山が聳え、武信白岩から十文字峠方面、上信、上武の県境の山々とその向こうに真っ白な八ヶ岳、東には両神山に続く山並みまで南東を除く素晴らしい展望が、風も無い紺青の空の下に贅沢なご褒美だった。直ぐ南にはさっき登った白泰山が頂上を突きだしていた。岩の上に座って、人の気配もないこの眺めに静かで満ち足りた幸せを感じた。のんびりとカラスが啼きながら向かいの深い雪の谷を下っていった。
 
 岩の上で周囲を眺めながら、カップ蕎麦を食べてゆっくりとした時間を過ごす。思い入れのある蟻が峰や大蛇倉山、赤火岳がここからも間近に望まれた。それにしても、山容も立派なこれらの山々が何故登山対象になっていないのか、重ね重ね不思議な感じがするのだ。「こんなポピュラーコースからも目立つ山なのにね…」
とても去りがたかったが、いつまでも居るわけにも行かない。
 
 12:32のぞき岩からまた来た道を引き返した。帰りもあまり急がず、ゆっくりと雪山にいる楽しさを味わいながら下った。長いだらだらした尾根の巻くような道は、樹林の美しいスポットがそこかしこにあったから、絵画を鑑賞するような気持で歩ける。植林帯に下っていく辺りからは、和名倉山や去年の暮れに登った記憶も新しい酉谷山や熊倉山が眺められて嬉しかった。こうして、余り疲れない白泰山の楽しい往復は3時丁度に林道に降りて終わった。

 帰りはこの辺りに来たときの定番、「道の駅大滝温泉」に浸かってしみじみと一日の楽しかった山行を反芻するのだった。秩父で早い夕食を食べ、8時前に帰宅できた。

 白泰山と十文字越え道の良さを知り、ぼくの奥秩父巡りはまだ尽きないと感じた。奥秩父の未登峰自体はほとんど無くなったのだが…。

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2 コメント

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いいですねー (テントミータカ)
2006-01-15 23:47:17
おおっ、この地味深いコース、歩かれたのですね。しかもラッセル!!。たいしたものです。

 私も、人に遭いたくないなー、気分のときは、この辺、歩いてます。地蔵岩から雁坂小屋、柳小屋から十文字峠・コブシ小屋を歩き残してます。



管理人様の方が、先に行かれそうな勢いですね。



よろしければ、当方の記事で、昨秋(晩秋)、入川沢渓谷から柳小屋の記録ありますよ。ご参考にでもなれば・・・
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赤城はぼくの地元ですね (あさぎまだら)
2006-01-16 03:22:16
テントミータカさんコメントありがとうございます。

今年は思わぬ山で雪山気分ですね。



赤城は毎日見ている、ぼくの地元です。でも、最近登ってませんね。今年は別の山にでも登っている雰囲気ですね、ぼくも登りたくなりました。昔は良く大晦日から黒檜の上にテント張って初日の出見ました。懐かしいです。



奥秩父は気軽に行けて、重厚な渋さが気に入ってます。以前は北部ばっかりでしたが、去年辺りから南部にもちょこちょこ出かけるようになりました。



人に会う山の方がぼくの場合少ないので、そういうおすすめコースがあったら教えて下さい。
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