Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

田の草取り

2008-06-15 11:36:37 | 農村環境


 昨日は田の草取りをした。今時田の草取りをする農家などめったにみない。とくにわが家(妻の実家)の田んぼにはいつくばって田の草を取るなんていうのはなかなか最近ではみない。田植え後にいろいろあって除草剤を撒くのが遅くなってしまって草が生えてしまったというのが事実。田んぼの主である妻にとっては、草取りをしてからでないと除草剤が効かないということらしい。この一週間というもの、夜遅くに帰ってくる妻は、少しキッチンに立つとすぐに居間にやってきてひっくり返って転寝していた。寝るために帰ってきているような状態で、「まだ大きな田んぼ(とはいっても山間だから一反ほどのもの)が残っている」というのでわたしも手伝いに行ったのである。正直いって田の草取りなかなか大変なものである。わたしの記憶でも子どものころ田の草取りをしたことはそれほどない。せいぜいヒエ取りをしろと言われて、夏場の暑い時期に田んぼに入ったことがあるくらいで、田んぼにはいつくばって田の草を取るというのは、妻の実家の田んぼを手伝うようになってからだ。手で田植えをするより手間がかかる。びっしのと生えた田の草を取ろうというのだから気が遠くなる。水が澄んでいる田の草の生えている田んぼを見ると、果てしなくて取るのが嫌になるほどである。ところが、取り始めると水が濁るからそんな見事な田の草の状態は見えなくなる。もちろんびっしりと生えている姿がまぶたに残ってはいるが、濁ってしまえばこちらのもの、という感じでとりあえず手当たりしだい水田の面に手を這わせて当たった草をかいて行くだけである。おそらくわたしのようにめったにしない者がやると、水が済むとまだまだ草が残っているのだろう。しかし濁った水の世界では致し方ない。やはり慣れてこないと手だけで感じ取るわけだから難しい。

 田んぼにはさまざまな草が生えてくるが、必ずしもイネの害になるとは限らない。宇根豊氏によると、水田に生える草のうち、60%は害にならないともいう『現代農業』2005/3「イネの有機栽培」。昨日取った草は、おもにウリカワである。積極的に害を与える草ではないようだが、それでもイネの根元にびっしりしがみつくように生えている姿は影響なしともいえないだろう。ウリカワとともにセリやマツバイなどの塊茎は、冬に耕うんすることにより土が乾燥化して激減するという。妻の実家ではこれを行なっていないから増えるようだが、がウリカワ減るとコナギが増えるという。コナギは害を与えもので、生えるとウリカワより取り難い。田んぼによって何が優先するかというのは、田んぼの管理のしかたでずいぶんと変わってくるということになる。優先種が何になるかは、除草剤の使い方によっても異なってくるようだ。除草剤で特定の草を殺しすぎると、別の草が優先化したりするということになる。田んぼに限ったことではなく、畦畔の雑草も同様で、草刈の仕方によって優先種に変化が現れる。草刈機に頼るようになった畦畔が芝化するのもそんなせいでもある。たかが田んぼなのだが、そこに展開される自然はとても多様で表情が違うということだ。

 さてそんな田の草取りをしたせいで、今日は太ももが痛い。運動不足というやつである。もちろんふだん使わない筋肉を使ったせいもあるが、これを一週間続けてきた妻はたいしたものである。除草剤を撒くのが遅くなったせいもあるのだろう、田植え後1カ月近く、いまだホウネンエビがたくさん泳いでいる。そろそろ終わりなのだろうが、発生後ほぼ1カ月、緑色の身体をうねらせている。田んぼの中を泳ぐホウネンエビを撮影するのは、わたしのデジカメでは難しい。焦点を手動で合わせられるカメラが欲しいところである。

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