Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

遊びの空間を考える③

2008-06-16 19:30:01 | 民俗学
3.暮らしの方向性

 ここで前回描いた図をもう一度広げてみよう。図に方位が示されているが、この図は真上がほぼ南方になる。図にしてもらう際に■を中央に表示
してこれを自宅として認識してもらうことにしている。もし、描こうとする空間が偏っている(ある一方に広がっているような)場合は、■の位置を消して「描きなおしてください」と指示をするが、ほとんどの方はそのまま■を中央にして描いてくれる。もちろん偏っている方がいないわけではなく、図に空白地帯が現われることもある。図示してもらう紙はA4版を示しており、縦長にするか横長にするかというのも人によって異なるだろうが、こちらの説明文は縦方向で示しているため、自ずと縦方向の空間を意識されることになる。このあたりもまっさらな状態で紙の大きさが無制限だとしたら、また違った世界が描かれるかもしれないが、自ら描いてみて思うのは、それほど広い範囲を認識していないことから、注釈を書き込まなければ、それほど大きな紙は必要ないのだろう。実際はこの図に遊んだ内容などを書き込んでもらうため、年配の方には描く空間が狭いと思われることもある。



 そんな描く空間のやり取りが、自らの頭の中である。どう配置するかが最初の悩みとなるだろうが、この描かれた世界がどこを向いているかというのは重要なポイントだと思っている。わたしの場合は、ほぼ南を上に構図を決めている。自分の家から遊び中心である場所を自然と上に配置することになったわけであるが、自宅と印象的な空間は対峙しているものであって、この場合は学校のある位置がもっとも対等な場所となる。したがってわたしの場合は、まっさらな世界で描くと、自宅は中央ではないのである。これは自宅の位置が地域(この場合の地域は通学エリアとも捉えられる)の中で北に偏っているために生じる日常のイメージなのである。自宅より北側は遊びの空間はあるものの行き止まり感があるわけで、日常の方向性は南にあるわけである。遊びのエリアを図示はしたものの、友だちたちと遊ぶ空間は、常に学校周辺にあった。この描かれた空間から解るのは、わたしの方向性は南を向いていたわけである。このようにそれぞれの方たちに描いてもらう空間は、必ずしも一定方向を向いているわけではない。自宅に対して何を対峙させるかによって空間は変化していくのである。

 ちなみにわたしの描いた空間についてもう少し触れておくことにしよう。学校の周辺には、当時農協や保育園、食料品を扱う店や下駄屋さん、酒店があった。いずれも今はなく、わたしの育った地域に、現在店は一軒もない。学校の近くに神社があるが、意外と神社で遊んだ記憶はない。友だちの家で遊んだこともあるのだろうが、一定して同じ家にばかり行っていたことは、低学年の時代にはなく、図示するほどの記憶はない。友だちと遊んだのは学校周辺に集約される。グランドは前述したように、もしかしたら高学年に差し掛かったあたりのものかも知れず、確実に低学年時代の記憶とも言い難いが、当時は地区の運動会にしても、大人たちのスポーツ大会もここで行われていて、催しがあれば必ずこの空間に行っていた記憶がある。川周辺については、友だちと遊んだというよりも、個人的に兄やおじさんたち、また近所の子どもたちと遊んだ空間である。


遊びの空間を考える①
遊びの空間を考える②

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