Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

昭和62年の記憶⑱ 熊野皇大神社神楽

2021-05-15 23:07:40 | つぶやき

昭和62年の記憶⑰より

 軽井沢町にある熊野皇大神社は、群馬県との境界に建つ神社としてよく知られている。ここの例大祭は5月15日であり、昔も今もその日は変わらない。昭和62年5月15日に、その熊野皇大神社を訪れた。平日の金曜日である。もちろん休日をとって訪れたわけであるが、平日にもかかわらず、参拝者が多かった印象があり、事実写真には大勢の参拝者が写りこんでいる。

 神事の後、社殿前庭において神楽が始まる。千箭(ちのり)の舞、散米の舞、烏の舞いに行われる。千箭の舞は、分恕の男性面に長烏帽子を着用し、白鉢巻を後に結びて白装束に金欄の派手な模様のちはやを羽織り、右手に矢を持って、左手には弓を持って登場する。足を大きく広げて踏みしめながら正面から左右四方に舞いながら廻り、本宮へ向かって、矢を射る。弓をかついで、右手に鈴を持って振り鳴らしつつ二巡して退場する。悪霊を打ち払う蟇目の祈祷舞といわれている。

 散米の舞は、男性面で烏帽子に白鉢巻を結びしめ狩衣に半切袴で登場し、左手に米を沢山盛上げた朱塗りの三宝を持ち、右手には鈴を持つ静かな舞いで始まる。鈴を鳴らしつつ四方へと舞いながら庭を二巡した後、鈴を正面の祭壇に置いてから庭石に米をまきながら二巡する。座を浄める意味があるといわれている。

 明治以前の神仏混合時代は、神社ではなく権現様であった。その熊野権現に基づくといわれるものが烏の舞である。烏兜をかぶり、濃い緑の鳥面を着用してちはやに半切袴の身仕度をして三宝を持って登場する。正面祭壇に三宝を供えてからは、幣束を左手に持ち、右手には鈴を持って振り鳴らしつつ庭一面に一巡舞い、三宝に持ち替える。その時に別の頭を布包み、ちはやに半切袴の白狐面の舞手が若葉の小枝を左手に持って登場する。その白狐が舞っている時に烏面が三宝に盛ってある切り餅を四方にまいてゆっくりと退場し、切餅を参拝者が拾う。退場後は白狐が替わって舞う。手に持っていた小枝と鈴を祭壇に戻すと、庭を右に左にと舞いつつ両腕の袂から切餅を取り出しながら道化の舞いとなる。切餅をまき終わると神楽奉納は終了となる。(『長野県民俗芸能緊急調査報告書』を参照)

 

昭和62年5月15日撮影

 

昭和62年の記憶⑲ 田辺市闘鶏神社祭


コメント    この記事についてブログを書く
« 祈祷札、ではないが | トップ | 1年でたった1時間だけ使う... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事