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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

あのころの景色⑦

2024-04-08 23:21:28 | つぶやき

あのころの景色⑥より

 

 

 栄村は、飯山に暮らしたころよく行った村である。もちろん仕事で訪れたわけだが、飯山5年の間、ずっと担当していた地区があったからだ。とくに野ノ海の池や、北野から鳥甲山へ連絡する道とずっとかかわっていた。いずれも生活道路ではなかったので、除雪がされておらず、今回足を踏み入れることはできなかった。5年といえば、そこそこの年月であることから、担った現場も数多い。記憶ある地名でも、現場がどこにあったのか、蘇らないところがいくつもある。まだ初任地であっものの、ずいぶんいくつも現場を担っていたものだと、あらためて感慨深くなる。

 写真は、もちろん森宮野原駅である。ここに立つ「日本最高積雪地点」という標柱は、当時のものではないが、当時も同じような標柱が立っていた。豪雪地帯であるこの地であるが、駅での最高積雪という標。しかし、あのころも、今もそうだが、実際の積雪では、やはり新潟とか山形にもっと積雪深のある地域を耳にする。温暖化で小雪の今から推察すると、この最高積雪は昭和22年と古い記録だが、数世紀単位で超えられることはないのではないだろうか。駅舎も当時のものとは異なるだろう。この駅前に、現在も「吉楽」という旅館がある。実はこの旅館には数えきれないほど泊まった記憶がある。当時は栄村の前述したような現場を訪れると、それほど距離はなかったもののよく泊った。ときおり秋山に泊まることもあったが、ほぼ「吉楽」だった。泊まらなくとも、昼食をとる際にもよく利用したように記憶する。長い生業の中でも、ここ「吉楽」か、旧南信濃村の紺屋旅館か、と言えるほど、宿泊回数が多い場所。後者より「吉楽」の方がきっと多かっただろう。建物が当時と同じかどうかについては、記憶が定かではない。いわゆる仕事で利用される方がほとんどだった。

 この森宮野原駅前でも、今年の残雪はこの程度であった。

続く


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