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殿野入春日神社「とりさし」 前編

2024-04-13 23:24:06 | 民俗学

 旧四賀村錦部の殿野入春日神社で、長年途絶えていた「とりさし」が踊られると聞いて訪れた。いわゆる「さいとりさし」(刺鳥刺)にあたる。「さいとりさし」といえば、全国的に分布のある民俗芸能で滑稽な舞、あるいは踊りが一般的である。「とりさし」についてはWikipediaに「鳥刺し(とりさし)は、鳥黐などを使用して鳥類を捕獲する行為、およびそれを生業とする人。古くから職業として成立しており、イソップ童話やモーツァルトのオペラ『魔笛』などにも登場する。また、狩猟の仕草を踊りや舞にした伝統文化が鳥刺舞、鳥刺し踊りなど各地に存在する。」とある。この「さいとりさし」について、鳥取市指定無形民俗文化財の「覚寺さいとりさし」を紹介した「鳥取伝統芸能アーカイブス」では、各地で威張り散らし、殺生が禁じられる寺社仏閣境内さえも荒らしていたため、近所の住民は根強い反感をもっていた。そんなさいとりさしへのささやかな抵抗として、小鳥を取り逃がすなど、失敗した様子などを身振り手振りで風刺したおどりが「さいとりさし」の始まりといわれている」と解説している。民俗芸能として舞台芸に分類されるものなのだろうが、文化財指定されたものは少なく、そもそも民俗芸能を体系的に述べた刊行物にも解説は少ない。

 長野県内では南木曽的の「蘭のさいとろさし」がよく知られている。町指定の民俗文化財であり、その紹介文には次のように記されている。

 さいとろさしは“さいとりさし”のことで、その名のとおり、竿にトリモチを付けて小鳥を捕まえることを言う。江戸時代、木曽谷には全部で58か所の巣山があり、うち南木曽町には10か所あって、鷹の保護をはかっていた。鷹は、将軍・大名等にとって当時最大の娯楽であった鷹狩に用いられるものであった。
 鷹を飼育するためには餌となる小鳥が必要で、その小鳥を捕まえる仕草を芸能にしたのが“さいとろさし”であった。この芸能は各地にあるが、蘭のさいとろさしは他所の上半身の動きに重点を置く踊りと異なり、腰を中心とした下半身の動作におもむきをおいている。性的要素を多分に含んでいて昔からの姿をそのままに伝える踊りともいえるが、開放的な庶民生活が彷彿とさせる踊りでもある。祝いの席、特に結婚式などによく踊られる踊りである。
 蘭のさいとろさしは、元来は一人踊りであった。昭和48年NHKの「ふるさとの歌祭り」に出演した際、現在の三人踊りに振り付けし直したが、当初の本スジは良く継承されている。

 「とりさし」の踊りは蘭のものにかぎらず、性的要素を多分に含んでいるものが多いようである。動画として公開されているものを見ていただいてもそれはよくわかる。例えば「せきがねさいとりさし(踊りの手引き 歌 歌詞入り)」には歌詞が掲載されている。「へその下へんが もっくりもっくりするわいの」に続いて「開けてみたれば福の神」はそれを想像させるもの。その上で踊りである「せきがねさいとりさし」の動画を見ていただきたい。こうした「さいとりさし」の動画はYouTube上にもいくつか見られる。とりわけ関金町のものは信州善光寺が舞台となっている。「鳥」取県の「鳥」はさいとりさしが縁ともいう説もあるように、「鳥取伝統芸能アーカイブス」には「さいとりさし」が何件も掲載されている。鳥取県三朝町のものは、鳥取県指定無形民俗文化財であり、動画がたくさんネット上に見られる。

 さて、南木曽町蘭のものは、単独の「さいとろさし」踊りとして知られているが、長野県内で単独の舞として民俗芸能一覧に「さいとりさし」が登場することはないと思われる。平成7年に発行された『長野県の民俗芸能―長野県民俗芸能緊急調査報告書―』には、悉皆調査の一覧が掲載されているが、「さいとりさし」というものはなく、祭礼の中で「さいとりさし」がほかの民俗芸能と共に踊られているものが見られる程度である。とはいえ、そもそも殿野入春日神社の「とりさし」も悉皆調査一覧の中に記述はまったくなく、この報告書には表れていないものもあると捉えて良いのだろう。

続く


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