Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

あのころの景色④

2024-04-05 23:52:26 | つぶやき

あのころの景色③より

 2018年6月に「ネガフイルムの劣化」を記した。そこで扱った写真の解説を次のように記している。

 かつて「北信の石仏・後編」で飯山市瑞穂にある万仏山の観音について触れた。弘化3年(1846)に造立されたもので、飯山に暮らした昭和50年代後半には何度となく足を運んだ、わたしの好きな石仏群だった。瑞穂福島地区の上部に福島神社があり、その脇の三叉路に「第一番」が立ち、ここから万仏岩まで三十三観音が建てられた。映画「阿弥陀堂だより」に登場した阿弥陀堂が、この山道の先にある。阿弥陀堂そのものは映画のために建てられたもの。

 

一番

 

 

 若いころ何度となく訪れた山道観音。瑞穂は千曲川右岸であり、飯山市の中心街から中央橋を渡って向かうと、木島平村にいったん入り、その先にある地域。もちろん木島平村を通過せずに行く道もあるが、飯山市中心から向かうには木島平村を通った方が早い。とはいえ、かつて樽川が決壊した際に災害復旧で携わった樽川と千曲川合流点の排水機場の横を、樽川を渡る橋ができているのは知らなかった。おそらく、この橋を渡る道を選択すれば、木島平村を通過せずに瑞穂にたどり着けるのだろう。「あのころの景色①」でも触れたが、かつてと大きく異なるのは、道が変わったことだ。飯山市木島のあたりも、木島平村から中野市方面へ行くには、かつての下木島の集落内を走らずに、樽川沿いに連絡するバイパスができていて、かつてと印象が違った。もちろん旧道を走れば、昔ながらの集落内の道に戻る。

 万仏山への道の手前、福島集落も傾斜地に展開される集落。北側の小菅とよく似た空間である。さすがに観音さんを何体が確認し、「阿弥陀堂だより」のために造られた建物が見えるあたりまで上ると、雪が除雪されておらず、それより上へ足を踏み入れることはできなかった。野沢温泉へ向かう道から、一気に上り詰めるこの傾斜は、意外になかなかのもの。ここに多くの家々が展開されるわけだが、長野県内でもときおりこうした傾斜地の集落を見かけるが、豪雨時はどうなんだろう、と気に病む。

 雨の降る中で訪れた石仏群、明瞭な写真は撮れなかったが、振り返れば千曲川が眼下に展開されていて、その地形の変化が実感できる。

続く

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