Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

隣組⑩

2012-07-10 19:37:11 | つぶやき

 隣組⑨より

 本来であるならば隣近所の冠婚葬祭時のまとめ役存在であり、もちろんかつてなら税金を徴収する役でもあった隣組長、今もその主たる役が変わったわけではないが、冠婚葬祭が生活改善によって簡略化されるとともに、そして冠婚葬祭の縮小化に伴ってその役は変わってきた。おそらくかつての自治組織を担ってきた人たちの中には、今の組織の激変に疑問を抱く人も多いだろう。こうした自治組織に限らず、地域にあっては例えば水利組合とか土地管理組合といったようなものも含めて役員は定期的に変わっていく。もちろん役員が変わらずに固定化することは褒められたことではないが、そのいっぽうで伝達の不備もあるだろうし、過去の履歴に対しての認識はとうてい伝わっていかないものだ。かつての基準(明確に文書化にしてないもの)ならOKにならなかったものが、今ならすんなり通るなどという案件はきりがない。

 先日もこんなケースがご近所であった。公共土木工事の要望で上げられた部分改修が行われた。実施したのは自治体である。地区の役員をしたこともなく、もちろん自治体の当制度に対しての詳細も知らない無知な者にはまさしく印象でしか語れないが、それでも疑問が湧くケースである。狭い路地の交差点脇には低い位置に宅地がある。その宅地側の法面を掘削を始めたので「路面水が宅地に入らないようにする工事」とわたしは想定した。掘削後基礎を施し、型枠を立ち上げたあたりから疑問が湧いた。やけに擁壁らしきものの型枠が道路内に入っている。もともとの道路の法尻からすれば1メートル近く道路内に入っているため、このまま施工されると明らかに道路は狭まる。そのまま型枠の位置が変えられることもなく宅地と道路の高低差1メートル余のところに重力式のコンクリート擁壁ができあがった。そのまま擁壁の天端に防護柵らしきものを設置する穴が明けられていて、明らかに道路は狭まって完成しそうだった。ところが養生が終わったころにその擁壁の外側(宅地側)前面に石積を積み始めた。いってみれば重力式コンクリート擁壁を覆うように石積を始めたのである。気がつくと擁壁の天端にあった防護柵らしき穴も埋められていて、明らかに擁壁が出来上がった後に修正を加えることになったようだ。既に完成した道路上をわたしたちは車で走っているが、擁壁の天端はちょうど車のタイヤが乗っかる位置にある。あのまま完成していたら問題になっていたのだろうが、今走っている人たちは完成後しか知らないから別段違和感もないだろう。

 日々工事中の脇を歩いて通っていたわたしは、その様子は毎日見ていた。この時代車を利用するのが当たり前だから、ここを歩いて通る人しかこのことは知らない。果たしてこの工事に重力式コンクリート擁壁が必要だったのか、ということになる。その姿は道路面に天端部分だけを残すのみで、あとは何も見えない。それを覆う石積だけで良いのならこの構造物は無駄ということになる。要望をしているのは地元だが、発注しているのは自治体。ということで要望から後のことをどの程度地元に知らされているのか。例えば工事費がいくらかかったかという報告はされているのかどうなのか。ここに地元負担の有無が関わってくるのかもしれない。地元負担があれば地元も敏感になるのだろうが、それがないと出来さえすれば良いと考えてしまう。この工事の問題は自治体の担当者にあったのか、それとも施工者にあったのか、問われるべきものだろうが、果たしてどうなのか。そもそも地元要望はどの程度問題意識が共有化されて持ち上げられているのか、そのあたりもかつての要望工事を知っている人たちには疑問があるようだ。個人的に要望のあったものを地元が共通認識として要望するべきだとはっきりと認識した上で上げられているものなのかどうか、このあたりは問われるものであるし、またそれを採用する側がどういった基準で採用しているものなのか、同じような事例はことかかないことだろう。

 続く


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