Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

美味しくない“鯖缶”

2019-01-22 23:19:34 | 信州・信濃・長野県

 我が家では、朝食に鯖缶が登場することが多かった。缶詰と言えば保存食であるが、手軽なおかずになるから、忙しい時にサッと出すには都合が良かった。だから妻は、朝食に鯖缶を利用することが多い。

 今日も朝食に鯖缶が出ている。ひとつの缶詰を一人で食べることはないので、半分くらいに壊して自分の皿に盛る。箸で円柱形になっていた山を崩す。「?、?」。いつもの鯖缶とちょっと違う感じ。いつものなら太い鯖が塊になっているのに、今日の鯖缶は細い魚がいくつかに固まっている。こんなのは初めてだ。崩した一部を自分の皿に載せて、妻には醤油はかけるなと言われるが、いつも通り少しかける。口に入れてみて、またまた「?、?」。なんだこりゃ、ていうか美味しくない。昔、子どものころ鯖缶が美味しくない、と思った時のイメージに近い。あの頃は、魚が好きではなかったからそう思っただけかもしれないが、このごろ美味しく頂いていた鯖缶とは明らかに違う。「これっていつものと違うよね」、思わず妻に問いかける。妻が言うには、知人からいただいたものだという。鯖缶人気で品薄になっていて、知人から鯖缶の箱詰めを贈答として送っていただいたというが、その鯖缶も品薄で手になかなか入らないという。それにしてもこんなまずい鯖缶があったんだ、そう思うほど、あまり口にしたくない代物だ。

 我が家では以前から鯖缶を利用していたから、この品薄は大変迷惑なのだ。あげくにこのまずい鯖缶。こんなまずい鯖缶でも品薄だと言うのだから、最近口にされるようになった人たちには、不味くても「鯖缶」なのだろうか。

 こんなブームのせいなのだろうか、年末にある報道から鯖缶について質問があった。すぐに回答できなかったので、知人に聞いてから回答したのだが、お礼の返事もなかった。きっと回答が遅かったので、別口で済ませたのだろう。質問はこうだ。

〇北信地区でサバの缶詰を食べるようになったのはいつ頃からか。
〇なぜ北信地区で多くサバの缶詰を食べる習慣ができたのか。
〇飯山市の方に5月6月に根曲がり竹とサバ缶を使った味噌汁をよく食べるようだが、そのような郷土料理が生まれた背景は。また、そのような料理ができる前は似たような郷土料理があったのか。

というものだった。鯖缶が汎用化したのは昭和30年代あたりのことだろうか。わたしも飯山に暮らした時代、盛んにタケノコ採りに行かされたもの。そしてタケノコ汁にして食べたものだが、当時の汁に鯖缶が使われていたか、はっきりとは記憶していない。その後しばらくして再び北信に働いたことがあるが、そのころは確かに鯖缶を使っていた。なので、当初飯山に暮らしていた時代は、ある程度鯖缶というものも視野に入っていたかもしれないが、鯖缶がなければ味がつかない、というほどのものではなかったのではないだろうか。現在北信に住まわれている方に聞いたところでは、「毎年スーパーにサバ缶が高く積み上げられるのは根曲がり竹や淡竹が旬の時期です」と言う。タケノコに鯖缶、これが北信のタケノコが旬なころの景色なのだ。飯山市の図書館の方にうかがったところでは、いろいろな本を調べていただいたものの、それら記載はあまりないという。そんな中、具体例として“『信州いいやま食の風土記』P132に「昭和30年代には商店に缶詰が置かれるようになった」”という回答をいただいた。さて、この鯖缶ブームで、今年のタケノコシーズンはどうなることか。まずい鯖缶では、きっとタケノコ汁も美味しくないのでは…。


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