Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

清水坂のお不動様 後編

2021-01-28 23:49:59 | 信州・信濃・長野県

清水坂のお不動様 前編より

 

お不動様

 

「蚕玉大神」

 

蛇神

 

「猫神」

 

 巨石と言うべきか巨岩というべきか、そもそも地質上ここは基盤は岩ではない。したがって流れてきた巨石が正しいのだろう。しかし、天竜礫層のひろがる洪積層の上に、これほどの巨石が露頭している姿の例を知らない。駒ヶ根市の菅の台に切石・重ね石・地蔵石・袋石・小袋石・ござ石・蛇石といった七名石と言われる巨石があるが、それらは千畳敷カール付近から氷河に押し出され、さらに洪水によって移動してきたものという。したがって山麓にあるが、お不動様ののる巨石は山麓からかなり離れている。どのような状況でここにこの巨石が路頭することになったものなのか。その巨石、実は正面からの写真では気がつかないが、少し左手に回っていくと割れ目が入っている。鬼滅の刃ブームで、全国各地にある一刀石が話題になっているが、お不動様の巨石はまったく話題にもなっていないが、それと見れば見られないこともない。

 さて、巨石の上にのる不動明王には、「寛政四年壬子年 十一月廿八日建之」の銘が見える。寛政4年といえば、1792年。前編でも述べたが、旧井が開削されたのは文禄2年(1593)という。したがって不動明王が建立されるまでちょうど200年ほど経過している。当時の周囲の状況がどのようだったのか、清水と言われるだけにすでに居住者があったのかどうか。

 不動明王の周囲には、石神が点々と散在している。お不動様がメインであることに違いはないが、その隣にある「蚕玉大神」は、お不動様の次席という存在だろうか。背面には「明治十六年未年 八月吉日 講中」と刻まれている。次に目立つのは、蛇を彫ったものだろうか、数基存在する。その中でも最もリアルなものが写真のものである。一見気がつかないのだが、よく見ると鱗が刻まれている。ここまでリアルなものは少ない。

 散在と前述したように、点々と立っている石神の中でもお不動様からは離れた位置にあるのが「猫神」である。この猫神は“「猫神」其の2”で触れた。次席にあたるものに「蚕玉大神」があることから養蚕に関する祭祀物が多いのかもしれない。とすると、やはりこの猫神も養蚕のために建立されたものか。なお年銘などはない。


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1 コメント

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猫神と養蚕 (壬生雅穂)
2021-01-30 20:35:45
はじめまして。石碑に興味があり、たびたび拝見しております。
当地(下伊那)にも猫神があります。私が聞いた話ですと、ネズミが蚕を食べるため、ネズミ除けに猫を祀ったという説があります。ご参考までに。
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