Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

天井を仰ぐ

2019-01-23 23:40:32 | つぶやき

 正直言って出どこのはっきりしないものが入っている加工品には手を出さない、が心情だが、そうはいっても癖のように手に入れてしまうものは誰にでもあるもの。

 何月!?、と言えば11月末ころからだろうか、「暖かい飲み物が欲しい」、そう思うとコンビニでコーンポタージュを買うようになる。夏場はもちろん秋ごろも棚には並んでいない商品だが、寒くなると必ず並ぶ商品。けっこうこれを好んで飲む人は多いようだ。だからなのだろうか、「コーンポタージュ缶のコーンを残さず飲みきる方法」などという記事がウェブ上に多く存在するのは。

 実はそんな記事がたくさん掲載されていることは知らなかった。この日記を書くにあたり、検索してみるとずらずらっと並ぶ。そしてそのほとんどの回答が同じだ。「飲み口の少し下あたりをあらかじめ凹ませておく」というもの。缶入りコーンポタージュを口にして、いつも思っていたことを解消してくれるらしい。缶の場合出口に縁があるため、どうしても粒がそこに引っかかってしまう。凹ませておくことで、その縁を飛び越えて出てくる、ということなのだろう。流体力学などと言われているが、考えてみれば縁に引っかからないための直前の踏み台のような物だ。

 わたしはこれを好んで飲むが、その度に缶を真っ逆さまにして天井を仰いでなんとかすべてクリアーしようとしていた。それでも1度や2度ではすべて缶から脱出させることはできない。何度も繰り返しやっているうちに、なんとか残存感はなくなるが、「何とかならないものだろうか」と常日ごろ思っていたこと。

 さて、暖かいものを手に入れて、口にしたらあまり「暖かくなかった」時は、後悔が訪れる。だから、コンビニ並んでいる時に暖かさを確認して買うのだが、単純にその時の缶の暖かさだけでは、中の暖かさは解らない。「今日は大丈夫だ」、あるいは「熱い」と思って買っても、意外に口に入れた際に「暖かくない」と思うことはあるもの。その時のいろいろな条件もあるだろうし、そもそも自分の身体の状態によっても違う。一概には言えないことだが、それでも口にした感じで、明らかに「暖かくない」、そう思うこともある。手前の物が良いのか、奥の物が良いのか、なんて思いながら「物を触る」、掛けのようなものだ。

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