Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

描かれた図から見えるもの⑯

2015-05-31 23:35:21 | ひとから学ぶ

描かれた図から見えるもの⑮より

常念岳(H27.5.26)

 

 写真は旧穂高町(現安曇野市)の御法田、いわゆる大王わさび農場のあるあたりから撮った常念岳である。松本も含め安曇野の人々にとっては最も親しみの深い山である。常念には前常念と奥常念があって、写真でも解るように、低い頂きが前常念、高い頂きが奥情念になる。北アルプスといえばば穂高岳、槍ヶ岳の方が高峰であるがゆえに象徴的と思いがちだが、実は前衛である常念の山容はとてもわかりやすく、イメージに残りやすい。したがってたとえば写真に撮っても、絵に描いても、常念が印象深い姿として表現されるのは当然なのだ。そんな常念岳の麓である旧穂高町にとってどう空間を捉えているか、やはり観光パンフレットから紐解いてみよう。

 その前に現在の安曇野市の観光パンフレットを長野県観光パンフレットライブラリーから見てみよう。「信州安曇野」の11、12ページに案内図がある。ページの上部に北アルプスの山々を捉え、その下に山麓から東側の奈良井川・犀川まで描いている。北アルプスの中央にそびえるのはもちろん常念岳。ようは常念岳を図の上部ほぼ中央に描いて右手に北、左手に南を置いているのである。伊那谷の天竜川西岸地域が捉えることの多い構図である。もともとこの地域は南側から梓川村、豊科町、穂高町、豊科町の西側に堀金村、穂高町の東寄りに明科町があって、それらが合併して安曇野市は誕生した。ようは合併前の自治体がこの構図だと横に展開するわけで、山を中心に描きやすい構図だったと言える。たとえば隣の松本市の場合は、合併前も合併後も、それらの地域を展開すると東西に長い地域である。「横」の構図で描くと自ずと上を北といういわゆる地図の常識に当てはまることになる。松本市の場合は、合併前も後も、安曇野市のような構図で地域を描く例を見ることはない。

 

 さて、やはり昭和54年に手に入れた観光パンフレット「道祖神のふるさと安曇野穂高」を開くと、地図上に道祖神の位置が記されている。現在のパンフレットが上部に山々を配置しているのと同じく、ここでも地図のトップに雪をいただいた山々を描き、その下に山麓から犀川までを描いている。現在のものとその思想はまったく同じといっても良い。ここに安曇野では北アルプスを上に置く構図がかなり定着していることが解る。伊那谷と違い観光客が多いだけに、よその人々がこの図を見ることも多いだろう。そうしたよそから訪れる人々にとっても、きっとこの構図は自然に受け入れることができるに違いない。

続く


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