Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

2月8日の行事

2018-10-28 23:26:59 | 民俗学

2月8日の呼び名より

 

 前回も触れたとおり、北信に記号はまったく現れない。『長野県史』の項目に、「事八日」の項目が欠落しているからである。したがって北端に始まる行事は、東信淵にはウマ引き、中信淵には餅をつく行事が並ぶ。これらがどう北信の2月8日との関係を示しているのか、今後の課題である。

 そのウマヒキは東信のうち、とりわけ上田から北佐久にかけて分布を示すが、それだけではなく、諏訪エリアにも多く、松本あたりまで分布する。県史のデータではここまでに留まるが、そのほかの地域にも見られる習俗である。ものをいぶすのは、諏訪から松本周辺まで密度高く分布する。このエリアから外れるとまったく見られないわけであるが、前述したように、事八日が北信から欠落するように、何らかの意味があると思われる。ものをいぶす行為は、2月8日に近い節分に他地域では事例が見られるあたりから、コトヨウカと節分の関係に要因はあるのかもしれない。門先に魔除けを掲げる例は松本周辺に見られるが、その数は少ない。長野県内では、コトヨウカに物を掲げる防塞型習俗は少ないようだ。

 そのほか、餅をつくという例は中信を中心に伊那周辺にも見られる。2月8日に道祖神祭りをするというところは、東信、中心に見られ、コトヨウカ行事の中信と東信は似通った姿を見せる。嫁の里帰りは、上伊那を中心に諏訪あたりまで。神送りはデータ上は遠山谷のみに見られる。関西に見られるという豆腐を食べる習俗は、やはり遠山に分布している。針供養については、全県に点々とするが、伊那谷に多いようだ。また、念仏をあげる例も伊那谷に多いが、中信にも見られる。

 このようにコトヨウカ行事は地域性が比較的現れる行事といえ、ここにまったく事例のない北信がどう関わるのか、注目点といえる。そういえばと思い出すのは、わたしの生家のある地域では、コトヨウカという単語はあまり聞かれなかった。北信同様に空白地帯が伊那谷の真ん中に現れているように、コトヨウカ希薄地帯には、何らかの要因があるのかもしれない。

続く


コメント    この記事についてブログを書く
« 移り住んだ人 | トップ | バックできない人は通るな »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事