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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

移り住んだ人

2018-10-27 23:11:31 | ひとから学ぶ

女神岳

 

 長野県民俗の会第212回例会は、おそらく例会としては初めての企画だと思われるが、「山間地に移住された方たちに聞く」という内容のもので、例会案内には次のように書かれていた。

 Iターンされた方々と移住先の民俗事象の関わりという切り口から、地域社会の現状に対する民俗学の関わり方について考えてみたいと思います。

  上田市野倉集落にて、民俗資料館の改修やお堂の法要の再生に携わった皆様を交えてワークショップ(聞き取り等)を行い、それをもとに民俗学の地域社会での立ち位置等について意見交換を行います。

というものだ。

 野倉に40年前に移り住んだという人(Aさん)が言うには、住み始めたころには60戸ほどあったという集落内の家が、今は30戸ほどだという。別所温泉から奥まったところにあることは確かだが、その時間5分ほど。ようは別所温泉から近いのである。にもかかわらず戸数は40年で半減。当初から自治会に入ったというAさんは、以前から移り住んていた人の紹介で野倉に移り住んだ。10年ほどは養鶏を営んでいたという。隣の家が火事になったとき、Aさんの住まわれていた家も少し焼けて、所有者から明け渡すように言われて、野倉の別の家に移ったという。それが今住んでおられる場所だという。子どもたちとともに、この地に移り住んだから、子どもさんにとってみればこの地が故郷のようなもの。子どもたちが巣立っているので、もはやこの地の人と言って差し支えないが、いまだ移住者としての葛藤をお持ちのよう。とはいえ、移住者と地元民という関係からすれば「昔の方が良かった」という。それは、昔の方がお茶のみに呼ばれるようなことがあったという。また、子どもとのつきあいがあって、地元の方たちとの接点は多かった。今は地元民の間でもほとんど行き来がない。ようは、新住民、地元民という括りで地域が分裂しているというわけではない。ただし、今回集まっていただいた方たちは、移住者中心に集まりを作っている。けして地元の方たちを除いているわけではなく、地元の方たちにも声は掛けられるようだが、参加されるかたはなかなかいない。地元の方たちとともに、野倉の過疎化をなんとかしたいという気持ちはあるようだが、思うようにはなかなかいかないようだ。

 Aさんとともに活動されているBさんは、昔の物々交換のように、労力の交換のようなことでそれぞれが役割を持っていけば理想ではないかという。そんな言葉を聞いて、わたしは思わず「移住者だけの集落だったら、みなさんの思うような集落が描けるのではないですか」と聞いてしまった。すると、Aさんは次のように答えられた。「現実的に住んでいる土壌というのは、今まで住んできた人たちが守ってき上に乗っかっているだけで、ここまで維持してきた凄さはこっちが学ばなければならないこと。だからそれを抜きにしたらまったく崩壊してしまう。新しい人ばっかになると、たがが外れてしまって、バラバラになってしまう」と。

 移住者の方たちが、そもそもわたしたちの相手をしてくださったのが感動的な出来事だった。そして、その中心におられるAさんが、この地で40年にもわたって移住者と地元民の関係を醸成されてきたのだと感じた。にもかかわらず集落の家はどんどんなくなっていったわけで、Aさんはそれが心惜しかったのではないだろうか。穏やかに話をされるAさんがいるからこそ、この集落へ後にやってきた移住者も葛藤はあっても、心地よくここに根を下ろす決心がついたようにわたしは思う。Aさんは、確かに自由にここで過ごされている。その傍らで、奥様はこの山の中で喫茶店を開き、街の中でもこんなに賑わいを見せないだろう、というほどのお客さんを迎えておられた。

 今回の例会、Aさんもそうだが、例会を企画された土田さんの思いも伝わった。民俗学が役にたつのか、こういった集落に民俗がどう関わっていくのか、そう問いながらこの日を迎えた。考えてみれば、過去には旧美麻村の廃村を訪ねて、廃村の関わった方たちに話を聞いた例会もあったし、ダムで沈んだ村から移転された方に話を聞く機会も作ってくれた。消滅しそうな集落、地域の人たちのこころ模様に少しでも触れられればというもの。今回のAさんの言葉に、教えられたものは大きい。


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