次は2月8日のことを何と呼んだかについて、図にしたものである。
これこそ場所によってさまざまである。もちろん数的優位はコトハジメであるが、前回示したコトハジメ、コトオサメの日をを示した図の分布密度に等しく、中信あたりから東信にかけてそれらは見られる。そもそもコトハジメ、コトオサメを意識されている地域と言え、それ以外の地域はコトハジメ、あるいはコトオサメという日の認識度が低いといえる。気がつく通り、前回の図も今回の図も、北信エリアに記号がまったくない。実は『長野県史』の項目に、北信には「事八日」の項目が欠落しているのである。ほかの3地域にはあるのに、北信だけにない。『長野県史』は4ブロックごと発行されていて、項目がすべて一致しているわけではないものの、ほぼ同じ項目で構成されている。「事八日」は等しくない項目の一事例でもある。なぜ北信にはコトヨウカが存在しないのか、大きな課題と言える。
ヨーカサマ、あるいはオヨーカが松本近辺に見られる。実はこの名称は北信にも存在する。が、それは2月8日や12月8日ではなく、「五月八日」という項目の中でそう呼ばれている例が見られる。ようは「ヨーカ」と言えば北信では5月8日を言っているのである。だから2月8日が存在しないのかどうか、データからは判明しない。
2月8日を道祖神の祭りとしている例も中信から東信にかけて点在する。東信ではこの日、ワラウマを引くところが多く、そのままウマヒキの日と呼ぶところは上田市周辺に多い。
コトネンブツと呼ぶ地域は伊那谷に、ハリクヨーあるいはオハリハジメと呼ぶところは東信にみられる。とても気になる呼び名がサンヤリである。旧南信濃村十原(とっぱら)では「サンヤリといって幣束を切り、それを持ってトートノカミをムラの境の道まで送って行く。豆腐汁を食べる」とある。また、飯田市上虎岩では「オサンヤサマといってゴヘーモチを作って月の出を待った」という。サンヤリとオサンヤサマが関連しているのかどうかはわかないが、この日を日待ちの日としたところもあるようだ。「サンヤリ」と関係するのかわからないが、「オサンヤリ」という行事をするとこがある。箕輪町北小河内で行われるもので、盆に行われる。
※この図は2月8日の呼び名として作成したが、あくまでもデータから作成者が呼び名として判断したものを落としたところで、必ずしも「2月8日を何と呼びましたか」という問いではないので、正確さには欠けるかもしれない。
続く
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